ある漫画家の元にフォロワーが何を考えたか全く不要な三角コーンを送りつけた。
漫画家が面白がってコーンの画像をアップするとそこそこバズった。
それを見た他のフォロワーがこぞってコーンを送り始める。
漫画家は次々と送られたコーンの画像をアップする。
「不要な三角コーンを送りつける・送りつけられる」という行為は面白いか?
おそらく最初の一回だけは漫画家もフォロワーも面白かったのだろう。
2回目以降はただの迷惑行為だし、本来なら漫画家側が止めさせるはずだ。
今彼らの三角コーンに対する評価は
「こんなつまらないネタを面白がれる自分達おもしれー」だ。
「面白い」の意味が完全に倒錯している。
フォロワーはなんのためにコーンを送るか?
送ったコーンの画像をアップされることで対して何の面白みもない自分が
「面白人間のコミュニティ」の一員として認められ、「面白人間」としてのアイデンティティを得るためだ。
漫画家はなぜコーンを送りつけられる事を止めようとしないか?
送られたコーンをアップするだけで簡単にバズれて、
「面白い漫画家」である自分を中心とするコミュニティを大きくできるからだ。
もはや彼らは三角コーンネタを「面白がる」事をやめられない。
三角コーンネタの否定はすなわち
「面白い漫画家」である自分、
「面白いフォロワー」の自分の否定であり、
「面白い人間のコミュニティ」の崩壊に繋がるからだ。
それが証拠に彼らは20年以上三角コーンネタを続けている。
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