それが「歴史と文脈がある」という部分なんよ。 アートとしての絵画には文法があると言ってもいい。
たとえばラッセンの絵がアートとしての評価が低いのは文法が滅茶苦茶だからだ。
わかりやすく喩えるのは難しいが、刺青に無茶苦茶な日本語の文字を散りばめている外国人を想像したらいい。
それが刺青としてクールであろうとなかろうと日本語として無茶苦茶であることにかわりはない。
アートの文法を理解している人々はかなり限られている閉鎖された世界に集まっていて、いわゆる画壇というコミュニティだ。
もちろん画壇は地上にひとつというわけではない。
だからアートを発表するならどの画壇で発表するかによって評価は全く違ったりもする。
細部を確認すると歪んでたり繋がってなかったり粗が多いから、壮大、抽象的、幻想的ではったりが効く作風でしか凄そうに見えない
そういうところを人の手でちょびっと修正すれば良いだけじゃね
元があればちょっと修正するだけ……みたいな言説は自動翻訳だとか自動プログラミングだとかの界隈でもよく言われてるんだが、現実的ではない。 中途半端に出来上がっているものを...
中途半端に出来上がっているものを理解するという工程が挟まる それはプログラムが抽象度の高い文字列だからじゃない? 絵は絵として出てくるからとんでもなくめちゃくちゃな絵を...
それが「歴史と文脈がある」という部分なんよ。 アートとしての絵画には文法があると言ってもいい。 たとえばラッセンの絵がアートとしての評価が低いのは文法が滅茶苦茶だからだ。...
それがさぁ。 Photoshop で画像の不適切な部分だけ切りぬいて、その部分を補完するってやると、 Photoshop のAIがイイ感じに補完しちゃうのよ。 つまり、お絵描きAI=原案 Photoshop AI =校正...
と思わせておいて、見る側はそこまで気にしてないから、AIが出したものをちょっと修正したり書き足したりっていうのが案外流行りそうな気がする