精神の不調を訴える人に「あなたは病気かもしれません」と言うとき、病気かもしれないと言われた人はどう感じるか
救われたように感じるか、それとも不快に感じるか……精神の不調の種類にもよるが、おそらくどちらもありうる
「ああ、自分が変になっているのは病気のせいだったんだ」という救いはありえるだろう
「自分のサボり癖など社会不適合な所は病気なのでは?と思って医者に診てもらったら病気と診断されず、ただのクズと判明した」というエピソードが悲哀と共に語られるのは、病気であればまだ救われたのにということに他ならないだろう
不快に感じる例はDr林のこころと脳の相談室に関連話題がある気がする、あとで探してみよう
精神病院に通院したがらない家族を無理やり連れて行くみたいな相談があったような気がする
そのとき何故通院したがらないのか?という話にヒントがあるか
あと「【3868】コンサータによって自己の連続性を失いつつある」にも示唆的な箇所があるか
精神は肉体の状況に強く依存しているという事実を突きつけられると動揺すると読み取れる
また、病名から想起される負のイメージも大きく関わっていると予想
イライラという精神の不調に対し「あなたは更年期障害かも」と言われたら自分の老いを突き付けられたように感じ動揺する人だっているだろう