2022-08-13

それ、人間の浮生(ふしょう)なる相をつらつら観ずるに、おほよそはかなきものはこの世の始中終、

まぼろしのごとくなる一期(いちご)なり。さればいまだ万歳(まんざい)の人身(にんじん)をうけたりといふことをきかず、

一生過ぎやすし。いまにいたりてたれか百年の形体(ぎょうたい)をたもつべきや。

われや先、人や先、今日ともしらず、明日ともしらず、おくれさきだつ人はもとのしづくすゑの露よりもしげしといへり。

 されば朝(あした)は紅顔ありて、夕(ゆうべ)には白骨となる身なり。

すでに無常の風きたぬれば、すなはちふたつのまなこたちまちに閉ち、ひとつの息ながくたえぬれば、

紅顔(こうがん)むなしく変じて桃李のよそほひを失ひぬるときは六親眷属(ろくしんけんぞく)あつまりてなげきかなしめども、

さらにその甲斐あるべからず。さしてもあるべきことならねばとて、

野外におくりて夜半(よわ)の煙(けぶり)となしはてぬれば、ただ白骨のみぞのこれり。あはれといふもなかなかおろなり。

されば人間のはかなきことは老少不定のさかひなれば、たれの人もはやく後生の一大事を心にかて、

阿弥陀仏をふかくたのみまゐらせて、念仏申すべきものなり。

あなかしこ、あなかしこ

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