それ、人間の浮生(ふしょう)なる相をつらつら観ずるに、おほよそはかなきものはこの世の始中終、
まぼろしのごとくなる一期(いちご)なり。さればいまだ万歳(まんざい)の人身(にんじん)をうけたりといふことをきかず、
一生過ぎやすし。いまにいたりてたれか百年の形体(ぎょうたい)をたもつべきや。
われや先、人や先、今日ともしらず、明日ともしらず、おくれさきだつ人はもとのしづくすゑの露よりもしげしといへり。
されば朝(あした)は紅顔ありて、夕(ゆうべ)には白骨となる身なり。
すでに無常の風きたぬれば、すなはちふたつのまなこたちまちに閉ち、ひとつの息ながくたえぬれば、
紅顔(こうがん)むなしく変じて桃李のよそほひを失ひぬるときは六親眷属(ろくしんけんぞく)あつまりてなげきかなしめども、
さらにその甲斐あるべからず。さしてもあるべきことならねばとて、
野外におくりて夜半(よわ)の煙(けぶり)となしはてぬれば、ただ白骨のみぞのこれり。あはれといふもなかなかおろなり。