句読点(特に読点)の多い文を書く人はヤバイ、みたいな話題があったとき
昔の小説がヤバイかどうかはさておき、たしかに古い小説は読点が多い気がした。
思い返すとワープロ普及以前の小説は読点が多いような気がする。
そこから思うに、句読点の多さは推敲の回数に反比例しているんじゃないだろうか。
原稿用紙にペンで書いた文章の修正の難易度は、カット&ペースト自在な現代に比べて高いだろうし、そうなると推敲回数も少ないだろう。
そういや句読点多いな、と思った小説は、元は新聞や週刊誌での連載小説だったりと、
執筆期間が短く推敲回数が少なかろうと思われるものだったので、我ながら恣意的だなと思いつつ、それなりに納得できたのでそういうことにしておく。