2022-02-02

幸せなんて知らないほうが幸せなのではないか

俺は味覚の評価基準ガバガバである程度を超えると全部「うまい」になる。

最近は5食、低温調理鶏むね肉、冷凍オクラ冷凍ホウレンソウ冷凍ブロッコリーナッツ

適当調味料を使いまわして食べているがめちゃくちゃ満足している。

たまに同僚と一緒に飲みに行ったり、飯を食いに行ったりするんだけど

俺はだいたいどこにっても普通にうまい」し大満足なんだが

ちょいちょい同僚が「今日のとこはハズレだったな」みたいに苦い顔をしていることがある。

普通にうまかったじゃん」っていうと「あれがしょっぱかった、あれがぬるかった」と

いろいろと具体的な不満がある様子。

同じ金払って同じ時間飯食って幸せになれないのってなんかなーと思ってしまう。

彼には幸せになれるおいしさのレベルってのが存在して、おそらくそレベルに達した時の幸せ具合は

俺の大体何食ってもうまい幸せ具合よりも高いんだろう、とは思うんだ(革命)

でも、そうじゃない大量の「あんまり幸せじゃない食事」を考えるとなんかしんどい人生だなーと思ってしまう。

彼に言わせてみれば「食事の本当の幸せを知らない人生のほうが不幸だ」ということになるんだけど。

でも「本当の幸せを知って今の幸せ幸せじゃないことになる」人生は、俺には辛すぎるかな。

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