まあ、女性が男性よりもカジュアルにセクマイ自認をしがちという現象も、セクマイ女性はある意味で「名誉男性」として生きやすい部分があり、シスヘテロ対人性愛女性の方が抑圧を受けやすいという部分はあるのかもしれないし、「シスヘテロ対人性愛女性が、セクマイ自認に逃げることなく、マジョリティの自認を堂々と掲げられることこそが、女性の解放に繋がる」という論理展開もありうるのかもしれない。
それはそれで一理あるとは思う。
しかし、フェミニズムの後ろ盾の一つとしてジェンダー論を採用している以上、ある意味でジェンダー論とは矛盾するフェミニズムの新たな視点を提供したいならば、そこに「ジェンダー論」の隠れ蓑を着せることなく、自らの言葉と責任で語らなければ、セクマイの人々とジェンダー論に対する背任行為に等しいだろう。
背信するような奴らも積極的に肯定せねばならないのが、女性、とかいうクソでか括りで採用してしまった思想の限界だった。 しかも、女性は全員、コミュニティの輪を重んじて分か...