誰もが口にする本当の本音がある。それと比べたら、本音で語り合うとか言っている奴らが如何に生ぬるい事か。
いいか、本音で語ると言っているような本音には価値がない。本当に価値のある本音は、誰もが口にすることだ。
例えば、ふとしたことから友人に馬鹿だと思われていることがわかったとする。しかし、その友人はお前を優しい友だと言ってくれる。ここに本当の本音がある。
この例を読んで相手は何も本音を言っていないじゃないか、と思う向きもあるだろう。しかし、なぜ友人は思うところを隠してお前を褒めてくれたのか。その理由が本当の本音なのだ。
その本当の本音はわからない。お前を馬鹿でも良い友だと思っているから褒めてくれているのかもしれない。お前が機嫌を損ねると面倒なヤツだから適当に褒めてやり過ごそうとしているのかもしれない。
だが、友人が褒めてくれたことに対してどう対応するのがベストなのかというと、その本当の本音がなんであれ、表面的に言われたことを素直に受け止めることなのだ。
面倒に思われているなら面倒にならないようにするだけだし、良い友だから褒めてくれているならそれを喜ぶだけだ。
つまり、詐欺などに騙されかねない状況を除けば、相手と表面的な言葉を重ねていくのが何より一番なのだ。
表面的な言葉がなぜ生まれるのか、本音というものが仮にあったとして、それを隠そうとするのならばそれを隠したいと思う気持ちこそが本当の本音ではないか。
だから、人の気持ちの裏読みをするなんて基本的にアホだし、相手の感情の悪い面ばかりを裏読みして勝手に落ち込んでいくなどというのは愚かの極みである。
誰もが口にする本当の本音。表面的な言葉を口にするその理由。その理由の発露として選ばれた表面的な言葉こそが付き合う価値のあるものである。