文字情報というのは不思議なもので、意味としての理解と、心の中へ浸透する共感的な理解との間に大きな隔たりがあるみたい。
あるときに読んだ本を、意味的には理解していたつもりでも、実は精神的な理解が及んでいない、というケースが良くある。
足りていないのは何か。実践、経験によるある種のつまずき、問いの発生、脳の中で解を求めるニューロンの彷徨い。何となくそういった拡がりを求める心の動きが追いついていないと、意味的理解に留まってしまう気がする。
別の本や情報を読んで、前に読んだ本の内容との接続を感じたり、引っかかっていた言葉の意味に別の視点からの解釈が生まれたり、実際の体験に照らし合わせて「あるある」と共感したりすることで、文字情報の意味を上書きする共感的な理解が発生してくる。
俳句のような短文に情景を見出したり、描かれていない情報を読み取って、自分の物語としての感動を覚えるのも、こうした共感的な働きがあるように思う。