この動画は初めて見た。
自分の理解では、このネタが(今のところ)燃えていないのは、ここで自分が笑われていると感じる層が少ないからだと思う。
味覚の方がわかりやすいと思うので味覚に置き換えて説明すると、
まず前提として、他所の人が「うまい」と思うものと此処の人が「うまい」と思うものはまったくずれていて、お互いに自分のところで食えるものの方が「うまい」と思っている。
そのため、「○○のクソまずい飯屋」というネタで、○○以外の人は○○の典型的な飯をイメージして笑い、○○の人は○○においてまずいとされている飯屋をイメージして笑う、ということができる。
ネタを見ている人によって笑っている対象(の広さ)が違うのだけど、そこには気づかないような叙述になっている。
タイトル自体がどちらとも読める書き方で、「カップル」への2つの修飾が同格とも2段階の絞り込みとも解釈できるようになっている。
蛇足かもしれないが。
こうした構造の笑いは、日本人を対象としたものでもよく見かける。
古い例になるが『ティファニーで朝食を』のユニオシも、今の若い日本人が見たらおそらく自分のことだとは思わずに笑うのではないだろうか。