小山田圭吾の過去の行為について、
「小山田圭吾を許さない」
という主張と、
「許さないと言えるのは被害者だけ」
という主張が対立している。
だが実際それぞれ両立する主張だ。
まず小山田圭吾のした事を見てみよう。
つまり法を破り言葉だけの謝罪で終わらせようとしている事になる。
しかも彼の罪は日本社会の治安と秩序を毀損し我々の暮らしを貶めた事でもある。
すなわち日本社会に身を置く人間は間接的に全員被害者となる。
もっと言えば、諸外国が課す前科による海外での活動制限をスルーできる為、もはや人類のほぼ全てが小山田圭吾を許さない権利を持っているとすら言える。
Permalink | 記事への反応(1) | 11:25
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別に日本的禊だのリンチだのはどうなろうが大した問題じゃなくて、パラリンピックという性質上実は海外から道義的な話を問われるのはこれからなのかもなぁとかは思った