海は静かで良いものです。それに、眺めているとまるで自分を受け入れてくれるような懐の大きさまで見せてくれます。
背の高いビルや人通りの多い歓楽街などとは縁遠い所ではありましたが、幼い頃、私とよく遊んでくれました。
祖父母の家の近くに海がありました。
親に連れられ挨拶を交わした後、家の裏側にある海へ行く事が多く、大人たちが話しているのを後目に、海と遊んでいました。
石を遠くまで投げたり、海と陸のすれすれを歩いたり、何処までも続く水平線をあてもなくただ眺めていたり。
ただ、海の中に入る事だけは許されていませんでした。
海は色んな顔を見せてくれました。
穏やかで波一つ見せないときもあれば、気性荒く暴れるように陸へ波を打ちつける日もありました。
こんな海の様子を、よく「時化ている」と言っていたのを覚えています。
「時化ている」時は海が暴れているため、船を出すことはしません。
祖父は漁をしていました。
船に乗って、少し遠くまで行って、戻ってくる。大量の時もあれば、「ダメだ」と言って戻ってくる時もありました。
祖父は決まって、笑っていました。
祖父は私を可愛がってくれました。
優しく、時に厳しく。よく遊んでくれとせがんだ事を覚えています。その心は、まるで海のようでした。
海のことを教えてくれたのも、祖父でした。
ある日、海が祖父を奪いました。
海は穏やかでした。天気は晴れ。波一つない、絶好の漁日和でした。
私は初めて、暗く淀んで底の見えないところも、穏やかに見えていつでも私たちの命を奪えるところも、全て引っ括めて「海」だということを知りました。
私は、海の良い側面しか見えていなかった。
祖父の命を沈めた海は、陽の光を反射して、キラキラ輝いていました。
あの日を境に、海へと近付くことは少なくなりました。
少し遠くから眺める海は、太陽の光を一身に受けて、より一層眩く感じられます。
やっぱり、私は海から離れる事は出来ませんでした。それは常に横にいたからなんて理由で片付けられるものでは無いことを知っています。
忌々しいはずなのに、どうしても綺麗で、肌を撫でる潮風が心地よくて、それを認める自分が居て、悔しくて仕方がありません。
私は海が嫌いです。