先日、話題になった車椅子の利用者に対する対応で担当した職員の都合が語られてた。
具体的には業務もある中でこういう人に対する対応は負担になるから対応はできる限りでいいというような話だ。
他にも増田でも車椅子の人に付き添う生徒の負担なんかが語られてた。
こういうのことは上の2つもそうだけど、行政や教師の対応なんかでも取り上げられる。
でもこれを考えることは他事を持ち込んでて良くないと思う。
もし求められる対応が善意ではなく、必要なことであるなら、必ず行われなければならないことなんだから。
もしそれができないのならシステムが悪いのであって、対応して割を食う人が訴えるべきはシステムそのものなんだから。
これはちょっと見えにくいけど、利用者はシステムの外部からシステムに訴えかけ、対応者は対応したのち、システムの内部からシステムに訴えかけるべきなんだから。
まぁ、多くの人は僕と同じように考えてると思うんだけど。
そもそもそんなシステムにする必要が無いというのは抜けてる。
>車椅子の人の補助は必ず必要なこと。 必ず必要なの? 代替案も提案されているんだからそれで良かったんじゃないの? 車イスの人がいたら、重さ100kg値段が150万以上する物を階段...
システムを変えるのに必要なのが人間の頭数だから誰にも手が出ねぇのよ まずは少子化対策か移民の都合いい受け入れができなきゃ選択と集中で採算取れない部分から容赦なく死ぬ訳