これとは対象的に絵師の文化では先人の絵を真似するところから技術が発展してきた。
そうした精神は今日のサブカルでも同様。
そう考えると文章と絵の文化では分けられるべきなんだろうか。
というか、完コピする文化と引用しない文化がぱっきり別れてる?
もしかすると倣う文化と独立文化の考え方が違う?
つまり守破離のうち、西洋的な文化を真似したのが守の精神性で、
いまやメディアは十分に日本的(離)なのでオマージュを混入させるのは少し違うという意味か。
つまり離の段階において再び守の段階を再履修するような行為はいかんとか、明示する意味なくね?
みたいなもんもあるかも。
守破離は「本を忘るな」という精神性があるので、箸で済むところをスプーンとフォークとナイフを使う必要性はないと。
つまり継ぎ足しの文化に対して削ぎ落としの文化であるから。
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