2018-12-08

責任の取り方

(先にお断りしておきますが、吐き出しただけなので、まとまってません)

貴ノ岩事件を観ていて思ったのですが、責任の取り方って「前例」に倣うことが多いですよね。

取る人が頑張って考えて「私はコレで責任を取る」としても、どこからともなく現れた「大人」や「知識人」や「国民」等の当事者以外が、「それでは許さない。前の人はこうしていた。『誠意』()が感じられない」と怒り出す

(まあ、部外者が騒ぐというのは、「責任の取り方」に限った話ではありませんが)。

前例に従わないとイカン、というのでしたら、もっと選択肢を用意してあげても良いと思うのですよ。泡食ったら当人思考停止状態になるでしょうし。

賞金の返納、寄付、降格、etc.

まあもう少し厳格にしたものが、法律による罰則だったりするのだと思いますが、その前段階(訴訟に至らなくても)で。

それはともかく、暴力反対。ただ、罪と罰贖罪)のバランスも考えて欲しい。

バランス: 例えば、当事者同士が(色んな忖度や勘案が働いた結果)納得すれば、ひとつの落としどころなのかしら。

  • 前例が気に食わなければやっぱり大騒ぎするんだから前例なんか最初から関係ない 自分のお気持ちがそうしたいというだけのことに後付けの理屈をこねくり回してるだけ

    • 「本心から」が、無意識にか意識的にか「前例」という限られた選択肢の中から選んでいる、という思考停止にも似た動きに見えたのです。 後から理屈をこねこねしている、というのは...

  • 責任をとるっていうのは 死をもって償うこというんだよ?

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