赤ん坊が無事「子供」になるまでの1~2年は、一人の大人が職も家事も投げ打つほど生活を犠牲にするということはもはや半ば常識だが、
さらに子供が大人になる思春期にも、ザーッと音がするくらい300歩くらい大人が譲って、本当に一人分の席を開けてやらなきゃいけないんだとしみじみ思う。
賢くて、小学生中学生を抑圧されたまま過ごしていられた子ほど、親はそのまま行けると勘違いしがちだが。
身軽に、ひらりと、避けて、またはゆずってあげなければいけない。
親のどちらとも違う第三の大人がそこにできあがりつつある。
第三の大人はいままでからするとカツアゲかとおもうくらいまた急にお金や時間を持っていく。
非常にタイミングのわかりづらい、面倒な、そしてお金のかかる時期がきたんだなとようやくおもえた。
もっと直線的で上り坂をゆっくり歩けばよいとかとおもったら、急に崖を登るようにむずかしいんだ。
家康はお子さん育てたことがなかったのかね、いや元服したらもう大人だったのだろう。
さておき、子供が大変手がかかる時期とその時必要な労働やお金の量が子によって違って予測できないのは、本当にこまったことだ。