という指摘があったのかないのかイマイチよくわからなかったので、今更ながらここに書き落とす。
鋼の錬金術師は1巻~島で修行?するあたりの回想と最終話しか読んでないのだけど、あれって反知性主義でしょ(あるいは反テクノロジー主義?正しい語彙が浮かばない…)。
原子力は人間の手に負えない(神の領域だ)と言って、原発全ダメ論を展開するのと同じ。
しかし、錬金術を捨てたとして、もしその後に錬金術があれば救えた何かに出会った時、お前はそれを自然と受け止めることが出来るのかと問いたかった。
ちょうど震災が起きて友人宅に転がり込んでた頃に最終話を読んだから、余計にそういう怒りがふつふつと湧いたのを覚えている。
ま、人ひとりが技術と文明を捨てるのは勝手だけど、作品の結論としてこうだ!と言われると、それは違うだろと言わざるを得ない。
序盤から中盤にかけてエンターテイメントとして結構楽しく読んでいたのだが、ラストで底の浅い説教で締められてガックシ来た。更に銀の匙で農業に行ったのを見て暗澹たる思いになったので全く読んでいない。
ちゃんと読めよ。錬金術が必要ならマスタングを呼べばいいだろ。 自分が使えなきゃダメだって限定するなら、医学が使えなければ救えなかったとか錬金術以外が必要で救えないケース...