「自慢じゃないけど」とは「今から誇るけど、悪く思わないでね」という意味の言葉だ。
どういう脈絡でそういう話になったのかは覚えていないが、ある時友人が会話の中でこんな言葉を口にした。
私はこの言葉を聞いて思った。
「いじめの当事者になった事がない人にとって、いじめの被害に遭う事はやはり恥ずべきことなのだ。いじめに遭わない事が誇ることならば、いじめに遭っていた事は恥ずかしい事なのだ。」
かつて公共広告機構のテレビCMで「いじめ、かっこわるい」というフレーズがあった。
毎日のいじめが原因で自尊心を傷つけられ惨めな気持ちで過ごしていた私は、そのフレーズのおかげで自尊心を失いきらずに済んだ。
「ああ、私はいじめられ連中の笑いものになっているけど、格好悪いのは私じゃないんだ」と思えた。
しかし。
この言葉を友人があまりに気負わずさらりと口にしたときから、気にするのをやめた筈の古傷が疼く。忘れたはずの連中の名前を一人ひとり思い出す。憎しみがじりじりとせりあがってくる。あの時のストレスがフラッシュバックする。
一体そいつは何者なわけ。著名な社会学者なの。あるいは哲学者とか。もしくは思想家とか。はたまた心理学者とか。はてなで有名な精神科医とか。たった一言でお前の価値観を揺さぶ...
いいえ、その人は著名人でも権威を持っている人ではありません。 教養はもってるかどうか分からない、その人の教養に触れる機会にこれまで恵まれていないだけで、持っているかもし...
俺の言語感覚だと逆に、 「自慢じゃないけど」=ほぼ自慢=いじめを受けないのは普通よりすごいこと=いじめられるのはごくありふれた普通のこと って感じで、むしろいじめられた経...
たしかにそういう風にも解釈できる。でも仮にいじめが横行している環境で育ったとしても、やっぱり配慮に欠けてると言わざるを得ない。
一体そいつは何者なわけ。 元増田が友情を信じた「友人」に他ならないだろう。 だから裏切られたと感じ、根底を揺さぶられるんだよ。
その場でいじめられていたことを告白しつつ真意を尋ねるべきだったのかも 仮に取り繕いの言葉だとしても相手の口からそんなつもりではないといってもらえれば そこまで引きずらな...