2014-05-17

http://anond.hatelabo.jp/20140517232028

仮に、将来具体的な危機が発生した時、その状況を踏まえて行使に踏み切るべきか、とどまるべきかが判断される。その判断ができるよう法律を整備するのである

その判断に直接国民は関与できないのでね。あらかじめ判断できる枠を限定しておこうと考えることはなんらおかしくはない。

主要なメディアまでが、故意にか法律整備の前段階にも拘わらず、ヒステリックに反応に終始

なにやら日本語おかしいが、「ヒステリック」はあなた主観なので、はあ、あなたはそう感じるのですか、としか

自らが攻撃されるまでは手出しが出来ない

嘘。

立派な装備をもっていても、それを使うことが出来ないとわかっていれば、なんの抑止的効果もないのでは?

あなたも反撃ができることは認めているのに、なぜ「なんの抑止的効果もない」ことになるのか。




最近集団的自衛権論議で一番危ないと思うのは、現状では問題が生じうる(と主張される)「具体的事例」と集団的自衛権行使要件とが乖離していることである

「具体的事例」の中には、個人的に改善すべきであると感じる課題もないことはない。しかし、その解決策として、今提示されている要件集団的自衛権行使が許されることとなれば、「具体的事例」よりもはるかに広い範囲で集団的自衛権行使が許されうることとなる。それは到底許容することはできないし、議論としても踏むべき手続無視した乱暴なやり口であると言わざるを得ない。

まずは、「具体的事例」について本当に改善必要が認められるのか。認められるとして、改善のために本当に集団的自衛権行使まで認めなければならないのか。といった点こそが本来は議論されるべきなのである

ミスリーディングな議論の「誘導」によって国民の判断が歪められないことを切に願う。

記事への反応 -
  • 集団的自衛権承認に対して批判的なメディアの論調は、認めてしまうと、まるで今にも戦争をおっぱじめるような論調。しかし、実際に今行われようとしていることは、法律整備のため...

記事への反応(ブックマークコメント)

ログイン ユーザー登録
ようこそ ゲスト さん