仮に、将来具体的な危機が発生した時、その状況を踏まえて行使に踏み切るべきか、とどまるべきかが判断される。その判断ができるよう法律を整備するのである。
その判断に直接国民は関与できないのでね。あらかじめ判断できる枠を限定しておこうと考えることはなんらおかしくはない。
なにやら日本語がおかしいが、「ヒステリック」はあなたの主観なので、はあ、あなたはそう感じるのですか、としか。
自らが攻撃されるまでは手出しが出来ない
嘘。
立派な装備をもっていても、それを使うことが出来ないとわかっていれば、なんの抑止的効果もないのでは?
あなたも反撃ができることは認めているのに、なぜ「なんの抑止的効果もない」ことになるのか。
最近の集団的自衛権論議で一番危ないと思うのは、現状では問題が生じうる(と主張される)「具体的事例」と集団的自衛権行使の要件とが乖離していることである。
「具体的事例」の中には、個人的に改善すべきであると感じる課題もないことはない。しかし、その解決策として、今提示されている要件で集団的自衛権の行使が許されることとなれば、「具体的事例」よりもはるかに広い範囲で集団的自衛権の行使が許されうることとなる。それは到底許容することはできないし、議論としても踏むべき手続を無視した乱暴なやり口であると言わざるを得ない。
まずは、「具体的事例」について本当に改善の必要が認められるのか。認められるとして、改善のために本当に集団的自衛権の行使まで認めなければならないのか。といった点こそが本来は議論されるべきなのである。
集団的自衛権承認に対して批判的なメディアの論調は、認めてしまうと、まるで今にも戦争をおっぱじめるような論調。しかし、実際に今行われようとしていることは、法律整備のため...
仮に、将来具体的な危機が発生した時、その状況を踏まえて行使に踏み切るべきか、とどまるべきかが判断される。その判断ができるよう法律を整備するのである。 その判断に直接国...
戦争するかしないかを事前に国民投票で決めるような国なんて存在すんのか?
そんなことどこに書いてある?