2014-02-13

人は端末ではなくデータに縛られる

最近よくAndroidを勧められる。

曰く、今のAndroidは昔と違ってヌルヌルさくさく、性能も自由度iPhoneより高い、らしい。

しかにそう聞くとAndroidも魅力的に思えるが、私がiPhoneを使い続ける理由はそこではないのだ。

1年ほど前、iPhoneマイク故障した。

これでは電話機としての最低限の機能もままならず、一刻も早く修理せねばとApple Storeに駆け込んだ。

幸い無償で交換してもらえることになったのだが、感動したのはその後だ。

スタッフに促されるまま同期したところ、アドレス帳はもちろん、アプリの配置や設定、果ては壁紙までそっくりそのまま元通りになってしまったのである

私はこのとき確信した。余程のことがない限り私はiPhoneを使い続けるだろうと。

一番大切なのはデータだ。

アドレス帳がなければ連絡もとれない。

画面にあるのは数年の歳月を経て厳選されていったアプリたち。

iTunesにはiPodの頃から集めてきた音楽がある。

からiPhoneユーザーである私にAndroidを性能や自由度だけで推されても「そうじゃないんだよなぁ」と思ってしまう。

逆もまた然り、それはAndroidユーザーにとっても同じことだろう。

iPhoneユーザーAndroidを勧めても(もしくはAndroidユーザーiPhoneを勧めても)、まるで意味がないのである

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