ポールグラハム氏のエッセイで、プログラムのいくつかは”エッセイ”ではないかという話を読んではっとなった。
エッセイの元々の意味は「何かを理解するために書いてみる」ものだという。ソフトウェアもわからないままに書き始めたという意味で同じではないか、と。
この感覚を長らく忘れていた。
元々何かを作り始めることは好きではない。生粋のクリエイターでもメイカーでもない。
手先は恐ろしく不器用だったし、作るより壊すのが得意だったからというのもある。
ブルースクリーンに陥ったWindows Meをリブートするために
先生が教えてくれたalt+ctrl+delは、間違いなく最初に覚えたショートカットの一つだろう。
……蛇足だった。
理由がなければ何もしない。プログラマーの怠惰な面だけ受け継いだ私は、いつまでも、好奇心ばかり加速させて読めない本を読むか美味しそうと親指をしゃぶって何もしないだけのガキだ。あるいは、"試しに"やってくれと課題を言われるのをずっと待っているだけの案山子のような。
理解したいという欲求。分かりたいという欲望。あれは難しいからいいやと逃げてどれくらいになる?