食卓にパックの納豆が出された場合「いただきます」は納豆をかき混ぜる前か後か、で意見が食い違い言い争う。夫はかき混ぜてから「いただきます」、妻は「いただきます」をしてからかき混ぜるべきと主張。互いの主張はこう。
夫(主に食べる側、料理は一応できる)「納豆はかき混ぜて食べるもの。かき混ぜたとき初めて納豆として完成する、つまり調理が終わる。だからかき混ぜてから『いただきます』するべき」
妻(普段食事を作る立場)「全部の皿を並べ終えて席に着いたときが食事の準備が整った合図なのだから、このときに『いただきます』するべき」
夫の訴えはそこからさらに「こちら〜になります」批判はおかしいという主張に発展。
曰く、料理は口に入るその瞬間まで変化し続けている。味にとことんこだわる料理人は、お客様の口に入る瞬間がベストの状態に仕上がるように皿を出す努力をしているという。例えばパスタのアルデンテというのはまさにそういう発想からくるものじゃないか。ならば料理が運ばれてきた瞬間はまだ未完成といえる。その間にも余熱でパスタが茹で上がっていて、まさにこれからお客様の口に届く瞬間にシェフが出したかった料理に“なる”わけだ。ウェイター/ウェイトレスがシェフの心意気を伝えるつもりで「こちら○○になります」というなら、それはむしろすばらしいこと。だそうだ。
どうでもいい。さっさと食え、メシが冷める。
仲がよろしくて結構