コミュニケーション能力が無い人は、口先三寸という危険な発想を持ち合わせておらず、常に脳内で文章化し推敲してから発言するので文章化能力や想像力が大いにある。
逆に、コミュニケーション能力がある人は、頭で考えるよりも先に口に出るため、文章を閃いて即座に書く事ができない。いわゆる体育会系的な人間である。
企業採用基準にコミュニケーション能力を求めるのは、要は上司の命令に逆らわない利口な馬鹿が欲しいだけ。ここにコミュ力のある馬鹿と条件が一致するわけだ。
口先だけのコミュニケーション能力が企業の求める人間であるかは別としても、企業側がそれを望む限り、体育会系的な人間ばかりが集まってくるのは当然。
しかしながら、コミュニケーション能力のみの人間なら、大卒以上の総合力がなくても問題ないはずだ。
それなのに、企業側はコミュニケーション能力がある人間にない、文章力を過剰に求めてくる。
コミュニケーション能力がある人間を必要としているのに、実際現場ではコミュニケーション能力よりも文章力がある人間を優遇するのだから面白い。
単にそういう体育会系企業は、市場淘汰されていくのだから問題ない。大企業病の本質だろう。
そういうお前だって、昼日中から、 プログラミングをやってみたい人は「まずジュエルペットで抜いてみよう」 天才エレベーター まさか自分が!! ソンジャーネに花束を 『夏への扉』...
企業が求めているのは、コミュニケーション能力と文章力を両方持つ人材です。 片方しかない人はフリーターかひきこもりになってください。
両方持つ人間以外は切り捨てるとすれば、ジェネラリストしかとれないという意味になりますねえ。つまり商人になれるのは凡人であると。