「攻撃衝動」をどこまで抽象化するかというのは、本能というよりも文化の問題なんじゃないかなあ。おおむね「文化的」な国家では、攻撃衝動を即物的に解放する人は少なくなるけれども、それはあくまで「文化として教育される」からであって本能が低下したり向上したりするわけではないでしょう。(たとえば「文化的でない」国の子どもを「文化的」な国に連れてきて教育すれば、同じように「文化的」に育つだろう、という意味で。)
「攻撃衝動」の出所は、基本的に「恐怖」だと思うので、日常的な恐怖にさらされれば攻撃衝動は誰だって(男だって女だって)高まると思う。その恐怖の根源が、28日周期でくる肉体的不調であったり、前立腺の肥大であったり、血圧の上昇であったり、二日酔いであったり、密すぎる人間関係であったり、劣等感であったり……は様々だとは思うけどね。
当方♂だけど、♂と♀の肉体が異なる以上、恐怖の根源の種類が違うこともあるだろう。でも、結果自体は大差ないなんてこともあったりするんじゃないかな。男の更年期なんてものがあるように。
要するに、元増田が男か女かはオレにも分からないけど、世には悪意が溢れていて、でもって悪意には性別なんてなくて、かつ、恐怖の発散の方法にはいろいろあるんだね、と。
たとえばこうして人に話してみて解消するとかね。
それが「文化」ってものの効用じゃないのかなあ、とオレは思うんだ。
んじゃね。