絞首刑は合憲という判決が出た。これは当たり前であろう。死刑が違憲などという判断が出るはずがない。この国が反逆者を「殺す」という選択肢を形の上でも放棄するはずがないからである。高見素直が放火殺人をした気持ちは分かる。こんな国に住んでいて、犯罪をしたくならない方がおかしい。しかし、体制は何枚も上手である。人民が犯罪を起こしたくなることなどはあらかじめ分かっていて、しかもめったなことではそれを許さないのが日本政府というものである。法は嘘なので、絞首刑は合憲、高見被告は死刑、こんなのは最初から分かっていた話である。わざわざ判決など見る必要もない。主文や結論は分かりきったことで、判決理由は、今時何が面白いのか、裁判官の自己満足である。ニュースでは、死刑の合憲判決のところを強調していたが、本当はこんなものは強調するものではない。よほどの事情もなかったので、当然のごとく死刑判決という体制の判断が出た、というだけであろう。本来ならどうでもよい死刑合憲判決に注意を向けさせる辺り、いかに体制への人民の敵意をそらそうとしているかが分かる。実態は体制を怒らせた犯罪者を殺すという裁定が出ただけのことである。