やった後にしなきゃよかったなんて思うくらいならやんなきゃよかった
VS.
やらずに後悔するならやった方がマシ
いずれも個人の、狭い認識から継ぎ接ぎした事例と分析なので、広く一般的に通用するわけでもなければ書き手自身に意味のあるものとなるとは限りません
意義や結論を導ききる気は多少はありますがさして信念というものを持たない(保てない)ため
既にやったことに対して、その行為の意義の無さや無常観、もとより始めからそうなることの予感をえていた様子
もうこころからの後悔と、二度とそれをしないことへの決意じみた卑屈さがあります
転じて、後者では未だ結論がでていない事物に対して拙速に取り組もうとする、これから事を成すものの、挑戦者の態度です
彼/彼女は自身や自らを取り囲む環境に対し、現在を事を成す時と定めます
それが未知なるものに対峙する態度として、或いはそれが分かりきったこととして
それが唯一の正解というべきものにせよ、誤りであると気づくための数ある道の一つにせよ
と、ここらで飽きました。
ここで対立する2項はあらかじめ不可分なもので、それをひらいた切り口は、単純に行為をした、前後に分断されているだけだと云うこと。
どちらにもそれなりに合意できる同機と反芻する点があって、それを比較してみたかっただけなのだとわかりました。
(いつもの如く、有意義な結論を探し出すのに飽きた。といってはもったいないけれど)
ただ、両者のような態度のどちらも取り込んでおけば、やることなすことを、同じことを同じように繰り返し続けることはなくなるのではないかという淡い希望を持ちます。
2度はやるまいと思った事を2度とやらない。かつ、未知なること(言い換えると、新しいこと)に対する試行を続けること。
これらの指針/原則に従い行いを繰り返しすことが洗練された方へ向かう手段ともいえる。
(他にもありそうだし、なんかのアルゴリズムで言うところの局所解に陥る可能性も充分ある。)
今日はもういいや。つかれた。