こんな時世でこんな事を言うのも残酷だが、こんな時だからこそ広めたい。
東北大地震から原発の流れ、そして現在に至るまでに、きっと色んなモノが溜まってる人もこの中にはいるだろ?
私は、老害共への憤りが今にも爆発しそうだ。
だが、怒りとして表にだしちゃいけない。それは、今が大変な状況だからというのもあるけど、得られる物が少ないからだ。
そこで、広めたいのが「黙殺」
その「情報」とは、「教訓」を得られる毒でもなければ、「栄養」になる薬でもないものだ。
もちろん、その「情報」からは五感的な「刺激」が生まれることはある。
その時はもちろん老害を「黙殺」しながらだ。
なぜなら、老害とは「者」ではない、老害とは「物」だ。「者」を物扱いする「物」のことだ。
それは、老人≠老害という事。
老人全てを老害だという「思想」は、「老人」には優しくしましょうという「思想」と何一つ変わらない。
もちろん、排出するものと一緒に出て行くものはある。
何かが動くにはエネルギーが必要だ。しかし、それは必ずしも痛さを伴うものである必要は無い。
始まりはふわふわしていた方がいい。
真の自由と責任を。