2011-03-16

老害黙殺運動

こんな時世でこんな事を言うのも残酷だが、こんな時だからこそ広めたい

東北大地震から原発の流れ、そして現在に至るまでに、きっと色んなモノが溜まってる人もこの中にはいるだろ?

私は、老害共への憤りが今にも爆発しそうだ。

だが、怒りとして表にだしちゃいけない。それは、今が大変な状況だからというのもあるけど、得られる物が少ないからだ。

そこで、広めたいのが「黙殺」

老害と思う対象から発せられる、全ての「情報」を無視する事。

その「情報」とは、「教訓」を得られる毒でもなければ、「栄養」になる薬でもないものだ。

もちろん、その「情報から五感的な「刺激」が生まれることはある。

その「刺激」に対する、ストレス老害に構わず発散していい。

その時はもちろん老害を「黙殺」しながらだ。

なぜなら、老害とは「者」ではない、老害とは「物」だ。「者」を物扱いする「物」のことだ。

物に当たる時と同じ感覚目には目をという運動

しかし、忘れてはいけない事が一つある。

それは、老人≠老害という事。

老人全てを老害だという「思想」は、「老人」には優しくしましょうという「思想」と何一つ変わらない。

老害黙殺運動代謝の一環だ。

もちろん、排出するものと一緒に出て行くものはある。

何かが動くにはエネルギーが必要だ。しかし、それは必ずしも痛さを伴うものである必要は無い。

動く事とは、常にバランス感覚が必要な事だと思って欲しい

実に、抽象的な話だがこれでいい。

始まりはふわふわしていた方がいい。

真の自由と責任を。

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