2011-02-01

これからの生死の話をしよう

若者社会への無関心があたかも即刻改善すべき深刻な問題であるかのように嘆かれる今、存在論的なところから沸き起こる苦悩を抱える人たちへのまなざしは日に日に差別的なものにならざるを得なくなっている。それは、社会というものを問題としてでっちあげ、媒介させることによって、「彼ら(存在論的苦悩者) は傲慢であり、周りへの気配り意識が欠けているかいつまでも孤立し、くだらない自己にとらわれた悩みの渦から抜け出せないでいるのだ」という論理が容易に通ってしまうようになるからなのだ。それによってますます人間関係恋愛仕事などの具体的で相対的で曖昧な問題の中で人々は考え、悩み、そんな占いたいなものにとらわれているだけで自分が頑張っているような気になり、抽象的で記号的で正確なものをひたすら追究する人たちがぶつかる壁や苦しみに対する無理解や侮蔑はこれからもどんどんと陰惨なものにならざるを得ないのである

  • 完全に自給自足で誰にも頼らずひとりで生きている人以外、社会的役割分担ってのがある。 哲学者ばっか増えたら社会はまわらないわけ。 社会に貢献しないと社会から受け取ってはいけ...

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