「こいつ一応化粧しているな」って判断するポイント的なものが知りたい。
かなあ。化粧なんてよく知らないよ? とりあえず目に付くところの順番で。
真面目な話をするともう回りに「アトピーなんで化粧無理」と主張し続ける
しかないんじゃないかな。
俺は酒飲めなくて「俺下戸なんで」とひたすら断り続けているのでなんか
他人という気がしない。他人の視線や「何だあいつ非常識な」という声より
己の健康だと思うのだよ。
肌荒れという特殊事情があるから、最悪ノーメイクでも許されると思う。
元増田の場合は、小綺麗に見せるメイクより健康そうに見えるスキンケアを優先すべきだと思うよ。
目の周りあれるならメイクしなくていい。
唇があれるなら口紅ではなく、薬用リップで保湿した方がいい。
ファンデーションが肌にダメージあるならやらなくてもいいけど、
なるべくてテカらない保湿の方法を考えた方がいい。
彼女は自分がミスしたことを彼氏がフォローしたことに気が付かない振りをして、
「結果的に私はミスしてないことになるから、私、悪くないよね。」と思っているか
「彼氏ナイスフォローだぜ、ここで私がそれに気が付くと、彼のフォローテクの評価が下がっちゃうから気がつかない振りをしよう」と思っているかで彼女の評価は180度変わる。
http://anond.hatelabo.jp/20090807170053ですよ。
ものすごいコメントが付いてびっくりしました。
半分くらいは、なんでこの人たち自分同士で喧嘩してるんだろう?と思いましたが、半分くらい参考になりました。
というわけで、聞いてみたいです。「男の思う、最低限の化粧」について。
私は美人ではないです。二目と見られぬほどのブスではありませんが、どのくらいかは自分では分かんないのでパス。
でも、しみ・そばかす多めで血色の悪い20代後半という、明らかに化粧したほうがいい部類の人間です。
じゃ毎日化粧しろよと言われればそうなんですが、今回用事があって3日化粧-1日休み-夜だけ3時間化粧をしたところ、
・結膜炎になって目真っ赤。目やにがひどいので視界が悪いです。
・鼻と頬の皮が向けました。
・唇がガッサガッサです。真冬?って感じ。
・口のわきに吹き出物がぽつぽつと。
って感じ。これを無視してしばらくやると、まぶたがはれて視野が半分になるし、
唇が膿んで真白に腫れあがり、噛み破って中身出すしかなくなります。顔も赤むけになるしな。
アレルギー検査してもホコリと花粉しか引っかからないけどそんなわけないだろう、という典型的なアトピー患者です。
いままで本社勤務をいいことに、皮膚病を盾にノーメイク通してきましたが、ついに客先出向が決まったのでさすがに化粧しなきゃなのです。
職種はIT系。服装は男はスーツ、女はオフィスカジュアルって感じ。
とくにおしゃれさが求められる職場ではありません。
ファンデーション毎日は無理なので、ポイントにコンシーラー塗ってお粉にするつもり。
ぶっちゃけ、職場のオジサンはだませると思う。眉はそんなに荒れないので書きます。
後は目と唇ですが、そこがアレルギーでやすいんですよねー。本当はしたくない。
なので、一般男性はぶっちゃけ同僚がどの程度化粧してれば許せるのか、教えてください。
なんていうか、「こいつ一応化粧しているな」って判断するポイント的なものが知りたい。
会社で横に化粧薄すぎる人がいるほうが、ばっちり化粧したお岩さんがいるよりましでしょ?という前提でお願いします。
あ、でもたとえ顔ボコボコになっても化粧しろ、っていう人が多いならそれも知りたい。
増田でもプライベートでも職場でも同じ事言いまくってる人がいる。
しかも、会えない人には電話までして、聞いてもない話を延々とする。
同じ様な内容の日記を腐る程一日に何度も書いてる。
皆、腫れ物に触るような扱いをしているけど、彼は気づいていない。
糸山乙
(実妹をヤクザをつかってレイプさせるとか警察に圧力かけて児童買春もみけすとか人間としては最低なんだけど資本市場に関する意見は正論のサンプルとして参考になるので時々みている)
下流顧客を切り捨てるのはブランディング戦略の常套手段。裾野が広い業界であるからこそ、そういうブランドが必要とされる。
レクサスのCMに出てくる家族は、レクサスの購買層にとっては「普通の人」。とてもレクサスが買えない人から見れば「エリート」。
ただそれだけのこと。
なんでhttp://anond.hatelabo.jp/20090812084754って書かないわけ?
読みが浅い。
一人で映画館にくる独身と子連れで映画館に来るファミリー層はぜんぜん違う。そして、DVDを買っていただけるお客様は主に後者なのだ。
と進化してきた中産階級。有名大学でて上場企業に勤めていたり、高校で人気No1だったり、田舎の公務員やってたりする、監督が「普通の人」と呼んでいる人達。
というような階級に属し、独り身のうちならなんとか映画館に行くこともできるが、(万が一)結婚したらとてもとても映画なんか見に行けそうもない。DVDなんか買えるわけもない。
よくYahooニュースの書き込みなんかを観ると選挙の基準を外交問題に求めてて、その上で自公政権支持を露わにしているケースが散見される。
一方で報道各社が行う世論調査の類なんかを見ると外交問題よりも身の回りの生活を重視した上で民主党をはじめとする野党に対する支持が高い。(実際、とある野党系の候補者の事務所開きに顔を出してきたけど、前と比べてこれでもかと言うほど人であふれかえってた。)
これらを考えるといくら外交問題云々で訴えても食糧問題が絡まない限りは生活に密着する問題ではない事が読み取れるし、それ以上に外交問題を重視する人の大半は身の回りの生活感が無いと言う事になっちゃうんだろうか?。
自分が有給とるときは「休む理由なんて言う必要無いですよね」とか言いつつ、漫画が休載だと「急病とか取材とか嘘だろ……」とか必要以上に考える人はどれくらいいるのだろう。
等活地獄 全身を引き裂かれては生き返らせるという責め苦を延々繰り返す。刑期は数百万年
黒縄地獄 熱い鉄の鞭で叩かれる責め苦。苦痛は等活地獄の10倍。刑期は等活地獄の数十倍
衆合地獄 刃の山を登ったり降りたりを延々繰り返す責め苦。苦痛は黒縄地獄の10倍。刑期は黒縄地獄の数十倍
叫喚地獄 熱した鉄の牢獄に押し込められる責め苦。苦痛は衆合地獄の10倍。刑期は衆合地獄の数十倍
大叫喚地獄 叫喚地獄をさらに凄くした責め苦。苦痛は叫喚地獄の10倍。刑期は叫喚地獄の数十倍
焦熱地獄 串刺しにされ火であぶられる責め苦。苦痛は大叫喚地獄の10倍。刑期は大叫喚地獄の数十倍
大焦熱地獄 全身の皮を剥がされた上で熱湯をかけられたりする責め苦。苦痛は焦熱地獄の10倍。刑期は下の阿鼻地獄の半分
阿鼻地獄 何百億の虫の海に投げ込まれたり口の中にドロドロに融けた銅を流し込まれたりする責め苦。苦痛は上の7つの地獄全てを足してさらに1000倍。そのため阿鼻地獄の住人から見れば大焦熱地獄でさえ天国のようだと言う話。刑期は1中劫
http://kenmogi.cocolog-nifty.com/qualia/2009/01/post-d30b.html
量子力学が非決定論であるということの意味は、個々の選択機会における結果が予見できないという意味である。このような選択機会のアンサンブルを考えると、その結果の分布は、完全に決定論的な法則によって記述される。
このことから、たとえ、量子力学が、自由意志の起源にはなり得たとしても、その自由意志は、本当の意味では「自由」ではない。何故ならば、量子力学は、個々の選択機会の結果は確かに予想できないが、アンサンブルのレベルでは、完全に決定論的な法則だからだ。
このことについて、第6章で紹介した「中国語の部屋」(Chinese Room)の議論を提出したサール(Searle)はその著書「心、脳、科学」の中で、明確に述べている。
たとえ物理的粒子の振舞いの中に何らかの不確定性の要素があり、その予測は統計的なもののみによって可能であったとしても、粒子の振舞いの予測が統計的にのみ可能であるという事実からは、人間の心がその統計的にのみ決定された粒子に命じてその本来の経路から外れさせることが可能であるという事実が帰結するわけではありません。それゆえに、この統計的不確定性という事実のみから人間の意志の自由の可能性は生じ得ません。要するに、不確定性という事実は、人間的自由が持つ何らかの心的エネルギーが分子を動かし、それがなければ別の方向に行っていたはずであったその分子の運動の方向を変えるというようなことが可能である証拠にはならないのです。
よりあからさまに言えば、量子力学に基づく自由意志は、次の「アンサンブル限定」(ensemble restriction)の下にあることにある。
アンサンブル限定(ensemble restriction)
個々の選択機会において、その結果をあらかじめ予想することはできない。しかし、このような選択機会のアンサンブルを考えると、その全体としての振る舞いは、決定論的な法則で記述される。
アンサンブル限定の付いた自由意志においては、個々の選択機会については、あらかじめその結果を完全には予測できないという意味でそこには「自由意志」が存在するように見える。だが、同じ様な選択機会の集合(アンサンブル)を考えると、そこには決定論的な法則が存在し、選択結果は完全に予測できるのである。
あなたが、ある瞬間に意志決定を行うとしよう。その選択肢は、AかBかという簡単なものでも、あるいはもっと複雑なものでも良い。あなたの意志決定が量子力学的なプロセスに基づくものであるとすると、その瞬間の意志決定の結果が、どのようなものになるかは、あらかじめ予想することはできない。現在のあなたの脳の状態をいくら精密に測定したとしても、予想することは不可能なのだ。これが、量子力学の非決定性である。
さて、そのような意志決定を行うあなたの「コピー」を沢山用意したとする。これが、すなわちあなたのコピーからなるアンサンブルだ。このアンサンブルの中の、ある特定の「あなた」の選択は、上に述べたような理由で予想することはできない。しかし、全く同じような「あなた」のコピーからなるアンサンブル全体としての振る舞いは、完全に決定論的な法則で予測することができるのだ。
必ずしも正確とは言えない比喩だが、一人一人が何歳で結婚するかという問題を考えて見よう。私たち一人一人は、何歳で結婚するかを、自由意志に基づいて決定していると思っている。確かに、ある人が何歳で結婚するかは、完全に予想することは不可能である。だが、社会の中のこのような人々のアンサンブルをとってくると、人々が確率的に何歳で結婚するかということについては、厳密な社会科学的な法則が成立するように思われる。アンサンブル限定のついた自由意志は、たとえて言えばこのようなものだ。つまり、個々の選択機会においては、自由があるように見えるのに、そのような選択機会の集合をとってくると、その振る舞いは決定論的で、自由はないのである。
茂木健一郎 『脳とクオリア』
第9章6節 アンサンブル限定のついた自由意志 より
何でお金払ってディスカバリチャンネル視聴契約したのにCMがあるんだよ・・・・
まぁ文句があるなら見るなって話ですがね
オンデマンドも対応してほしいです。
見たい番組を 見たいときに 見たいのです!
鳥「チュン…チュンチュン…」
友達の前ですればいいのに
身の回りの整理にあと50年くらいかかりそうでして.