賢人ではないが…
現状に大きな不満がないなら、それはそれでいいんじゃないかな。「現状維持」も一つの大切な選択肢だよ。
だけどもし、どうしても自分が成長したいって焦りだけはあるのに、何となく目標が持てない…っていうのなら、
月並みかもしれないが、いろんな人に会ったり、いろんな場所に出かけたり、っていうのは効果的だと思う。
自分よりちょっと上の人(スキルだったり年齢だったり)が居そうな所に行ってみるのは、目標を見つけるのには手っ取り早い。
スキルが上の人からは、何か自分に取り込みたい物が見つかる可能性があるし、年齢が上の人からは自分の今後の人生のヒントが見つかるかもしれない。
要は、マネしたいと思える人を探す。っていうのが良いんじゃないかな。
くりかえしだけど、全然悩みがないなら、あえて無理に悩みこむ必要はないと思う。今の自分に自信持てばいいと思うよ。
この記事は2ページに分ける必要があるのか?
研究職だけど、本当にすごいものなら確かに騙されると思う。
というか、たぶん騙されるだろうなぁって方法はいくつか思いついた。
論文だって偽造できるし。
そもそも薬だって意味あんの?って思いながら飲んでるし。
今まで生きてきて10種類以上は飲んでるから騙されてるかも。
それに情操教育とか確かにやったし、あれ今思うと騙されてるってことになるのかも。
増田の言う通り、科学的知識で見抜くよりも背景で見抜くしかない。
んである程度は諦めるしかないんじゃないだろうか。
ただ、個人的には投資もしないし、あんまり健康にも興味はないから大きいところには騙されないだろうしなぁ。
ニュースになってるニセ科学はニセであることじゃなくて、程度が低すぎることが問題なんじゃないだろうか。
この程度も見抜けないの?…え、マジ?バカなんだ。大問題だ。って言うニュースだと思う。
ユニバーサルデザインの考え方って大事だよね。バカでも暮らせる社会を!
自分がロリコンだとか非モテだとか嬉しそうに話す奴は何考えてんだろ
http://anond.hatelabo.jp/20081116140255
上記を書いた増田なんですが、
ブックマークでいろいろコメントもらって少しずつわかってきたような気がするので、
やっぱり「頭がおかしいと思われたい」というのは、そうなんでしょうね。
問題は、なぜ頭がおかしいと思われたいかってことなんですが……。
「頭がおかしい」ということがその人たちの中ではプラスの評価なんでしょうかね。
ツイッターを使ったことが無いのでよくわかりませんが、そういう人が多いんですね。
なるほど。「もう俺を競争に引きずり込むなよ」っていう周囲へのアピールってことですね。
これも説得力のある意見だと思います。↓のブクマコメに、その裏づけに当たるかもしれない内容が。
貴重な呼ばれてる気がしたコメ。
2.に書かれているように、やっぱり、恋愛話振って欲しくないとか、
そういう「俺を引きずり込むな」っていう防御線的意味合いが強いんですね。
上のブクマコメともリンクしてるし、やっぱりそういう面が大きいのか。
ただ、防御線を張るのであれば、そういう人たちは自分が戦線離脱しているんだって事を
嬉しそうに言わなくてもいいような気もしますが・・・。むしろ悲しいことだし。
自慢気に言う人が多いのはどういうことだろう。
それが、1.に書いてある「論理武装」ってのに繋がるんだろうか。
1.の「自分はロリコン・変態・二次住民・非モテアピールは論理武装」ってのがよくわからないので、
ここはもっとよく知りたいところ。
個人的には、これが一番しっくりきた。
なーるほどね。傍から見てたら「それのどこが偉いんだよ」って言いたくなるような
やたら得意気に話される不幸自慢とか、そういった類の物だと考えるとピッタリかも。
他人とは違う→俺特別→特別な俺カッコイイ というトンデモロジックが成り立ってるんでしょうかね。
どう考えてもカッコよくないどころか危険人物ですけど。
うん。勉強になった。
みんなの意見聞く前に個人的に思ってたのは、
ドロップアウトしちゃって、ダークサイドに落ちちゃった人たちの頭の中では、
反対に「どれだけドロップアウトしてるか」でしか周りと競えないから、
それがアイデンティティになるという逆転現象が起こっちゃってるのかと思ってた。
老人になると、近所の老人と飲んでる薬の量を競うようになる、みたいな。
いや、それ全然良くないから!むしろ悪いことだから!みたいな感じでw
でも、どうやら周囲への「俺を巻き込むな」っていう防御的な意味合いが強いみたいね。
もちろん、不幸自慢的な側面もあるんじゃないかと。まぁそれは予想だけど。
「ロリコン・変態・二次元住民・非モテアピールは論理武装」って話は面白いので、
もし聞けるならもっと詳しく聞いてみたいところ。
やや恐怖感を覚えたため、先日、着信拒否設定を行った。
それにもかかわらず、彼女からの着信は一向に減らない。
君が何を言っているのか分からないよ!
いつも通りの番組内容だったが、盛り上げようと思っても盛り上がらない「老い」、視聴者心理を操れない制作者側の「手応えのなさ」を微妙に感じてしまうのは気のせいだろうか?
出演者たちはいつも通りやっているつもりだろうが、微妙にパサパサで、フニャフニャで、薄味で、ぼんやりした成分の空気が漂っている。
ΩΩΩ < ナ、ナンダッテー!!
前回までの話:http://anond.hatelabo.jp/20081111121345
あれから10日間、彼女からの着信は着実に増えつづけている。
多いときには、1日に20件もの着信履歴が・・・。
やや恐怖感を覚えたため、先日、着信拒否設定を行った。
それにもかかわらず、彼女からの着信は一向に減らない。
そして、留守録には相変わらず、
「○○です・・・電話ちょうだい」
というメッセージだけが溜まってゆく・・・。
で、一応、電話に出てみた。
オレ「はい、もしもし」 彼女「・・・・」 オレ「もしもし?」 彼女「・・・・」(いきなり無言電話かよ) オレ「あのさぁ、こっちも忙しいから、もう電話かけてこないでくれませんか?」 彼女「・・・・」 オレ「もしもし?」 彼女「・・・○○くんてさぁ、今、なにやってるの?」 オレ「はい?すいまん、もう電話かけないでくださいません?」 彼女「ねぇ、ヒマない?合おうよ」 オレ「すまんけど、今、東京に住んでいて、田舎には住んでないよ」 彼女「・・・・」 オレ「もしもし?」 彼女「一緒に遊ぼうよ」(人の話を聞けよ!)
こんな調子で会話が全くかみ合わないので、一方的に電話を切ったのだが、さっきから着信が5分おきに・・・無視を決め込みましたが、ややノイローゼ気味です。怖い、怖い・・・
Mac OS で作成された Word や PowerPoint のファイルを
Windows で開いたら,図の代わりに
QuickTimeý Ç??
êLí£ÉvÉçÉOÉâÉÄ
ǙDZÇÃÉsÉNÉ`ÉÉÇ??å©ÇÈÇžÇ??Ç…ÇÕïKóvÇ??Ç??ÅB
みたいな感じで表示されてしまったときの対処方法
-------------------------------------------
1.当該の hogehoge.doc あるいは hogehoge.ppt ファイルを Word や
PowerPoint で開き,「ウェブページとして保存」する.
このとき「単一ファイル Web ページ」や「XML ドキュメント」ではなく
「*.html」形式で保存されていることを確認.
2. 保存したフォルダに「hogehoge_files」というサブフォルダが出来たのを確認.
3. そこに *.pcz というファイルがあるのを確認.
4. *.pcz を *.tgz にリネームして,各種ソフトで解凍.
5. そこでできたファイルを *.pict / *.pct にリネーム.
6. QuickTime Picture Viewer 等で開いて copy → 元のファイルにpaste.
あるいは Irfan View (+ Quicktime.dll) 等で形式変換してから挿入.
以上.
なるほど!べんきょうになりました
ギュウだけにギュギュギュとひしめき合ってるわけです
思い出とか、ありすぎて思い出したくない。2年半一緒にいたからなあ。
結婚するとかしないとか、この歳になると避けようのない問題が出てくる。
それだけじゃないんだろうけどね。難しいなあ。
2年半も付き合ったのは初めてだから、このあと俺はどうなってしまうのか想像がつかない。
とりあえず仕事は手に付かない。
http://anond.hatelabo.jp/20081117170546
そうですね。世論は言いすぎでした。
しかし、相撲ファンからあまり異論は聞こえなかった。大変悲しい。
そもそもこれからの力士であれだけ力を出していたのに、
体に悪いとは思えません。お酒のほうが体には悪いのでは?
精神論だったり、「才能」や「努力する才能」だよ、という言葉で片づけるのは簡単だけど、それでは何もプラスがないし、つまらない。ここはもう少し細かく考えてみよう。
すなわち、君はなぜ「できない」「もう無理」と思ったんだい?
一つには環境要因があるだろう。お金、時間、周囲との人間関係…。これらはすぐに改善するのはなかなか難しそうだ。
だけどもう一つ、「何をすればいいのか分からず途方に暮れた」「あんなこと、今の自分には難しすぎる」…努力しなきゃと思っていても、一体どこでどう努力すればいいのか分からない。そういう理由なら、それは何とかなるかもしれない。
まず最初に知っておいて欲しいことがある。人間は1歩先の足場にしか届かない。
これを教育の専門用語で「発達の最近接領域」という。最近接領域とは「自分一人でできる」以上「誰かの助けがないとできない」未満の領域のこと。
その人の学習段階(レディネス)にあわせて、ちょうどぴったりの「発達の最近接領域」範囲内に次の足場を用意する。実はこれこそが教育の正体だ。
「発達の最近接領域」となる範囲の幅は広い人もいれば狭い人もいる。歩幅と同じで個人差があるのだ。体調にも左右される。一足飛びで上達しているように見える人は、この幅が広いに過ぎない。その人も自分の歩幅で一歩ずつ発達段階をのぼっている点ではあなたと同じだ。
歩幅の違いはあるいは才能といえるのかもしれない。しかし裏を返せばスピードの違いこそあれど、歩ききることさえできれば、ほとんどの人が目標に到達すること自体は不可能ではないのだ。
むしろ注意したいのは、自分の最近接領域内に足場を設定できないと発達できないという点。発達できないと疲れだけがたまる。自分の歩幅を的確につかむことが最重要だ。それが最後まで疲れずに歩くことにも繋がる。
さて、これを踏まえた上で、どこに努力の力点を置くか、である。ポイントは2つある。
登山でいうならどの頂上に向かうか。当然といえば当然だが、目的地が分からなければルートが割り出せない。適当に動いたのでは遭難してしまう。マクロな視点、俯瞰的な視点で最終目標さえ捉えていれば、そこに至るまでのルートはわりと自由が利く。自分の行けそうなルートを選ぶことができる。
目的地が遠すぎる…と思ったら、もうすこし近めに設定しても良い。目標は途中で変えても良いからだ。
次、努力ポイント2つ目。「次の一歩」を見つける。ここ重要ですよ、テストに出ます。
学校教育では教師がきみの歩幅に合わせた足場を用意してくれる。趣味や仕事ではそれができる人に師事するか、自分で足場を見つける必要がある。目標が達成できるか否かは最近接領域内にうまく足場を設定できるかどうかが肝だ。
自分より少しだけ上手い人を探して、マネをする。というのも良い手立てだ。
ポイントは自分に学習状況にあわせて、こまめに足場を設定すること。最近接領域は刻一刻と変化する。繰り返しになるが、歩ききれば目標には到達できる。だからこそ自分に適切な足場を設定すること、途中で疲れはてないように注意することが最重要だ。
「何をどうすれば上達できるか分かんないよ!」となってしまったときは足場が遠すぎる可能性が高い。もっと「一歩」を小さくしたり、より基礎部分に戻ればいい。
逆に、もうこのレベルは簡単にできるようになったな、と思ったら少し(ほんの少し!)レベルを上げる。
普段の運用は2つ目「次の一歩」に注力すればいい。1つ目「最終目的地」はそうコロコロとは変わらないからね。逆に「次の一歩」は毎回ていねいに確かめる必要がある。そうして時々ルートがずれてないか、最終目的地を確認すればいい。
もしも、1つ目「最終目的地」が変わったら、そのとき自分の位置と新しい目的地から、次のルートを割り出しなおそう。
さて、歩ききるため(または歩ききらせるため)に重要なことがもう一つある。
評価だ。
どのタイミングで評価をするかについて、多くの場合、大目標に到達したときが頭に浮かぶだろう。学校ならテストだったり、仕事なら一つこなしたとき。趣味なら発表会とかかもしれない。
だが、それだけではない。実は「次の一歩」で動いたときに評価をするのだ。
一歩がうまく行った時は、全力で褒めていい。そして、そのまま行けばいい。
うまく行かなかった時は、「次の一歩」の足場の見直しをする。
ポイントは、評価とは点数付けに意味があるのではなく、むしろ最近接領域の状態を見極め、次の足場の設定へのフィードバックを行うことこそが真骨頂という点だ。
これは先ほどの、こまめに足場を設定する、という話に繋がる。こまめな設定には、こまめな評価が必要だ。
しかも、こまめに褒めればモチベーションも維持しやすいという特典付き。完璧な作戦だ。
おま…だから、いきなり全部やろうとすんなとあれほど…
はい復習ー。むりぽと思ったときは?…そうだね、「一歩」をもっと小さめに設定するのがコツだったね。
「できない」「もう無理」「やっぱ才能ないわ自分」って思ったときほど、設定を見直せー。
それでも「出来る」なんて思えない?
大丈夫、みんな義務教育はしっかりこなしただろ?国語も算数も苦手なりにも一応は出来るようになっただろ?
…出来てるじゃん。あれと本質は同じだ。だから、できるよ。慣れは必要だけどな。
ま、なんにせよ時間は必要だから、この10000時間ってのを一つのめやすに長期計画立てると良いかもしれんね。
あと、へこたれそうになってる人には、周囲の励ましがよく効きます。特効薬です。
無理とか言ってる人も、おだてれば木に登ります。だからみんな俺に優しくしてくれメソッド発動。
追記:このエントリ、ほとんど元増田の言い換えだったり、ちょっと元増田の文脈からずれてしまったりしてるのが申し訳ないが、誰かのお役に立てれば幸い。
あとちょっとタイトル変えた。
しかし、規制は常に強化されるような世の中は、正しいとは言えません。
あらゆる規制という規制が常に強化されていってるわけではないんでないの。
タバコと酒に限れば、強化の方向みたいだけどさ。
大麻の使用に罰則は必要でしょうが、罰則の重さについては、どうでしょうか。
その辺のバランスが崩れているように思うのですが、
所持で違法な大麻と、そうではない酒で、扱いが同じなわけないでしょう。
そもそもそれ(酒が基本OKなのに大麻が所持で違法)がおかしい、と言いたいのかもしれないけど
そこはもう歴史としか言いようがない。他の増田も書いてたけど。
正直、マスコミが騒いでただけで、一般的な世論としては大して興味がない(あっても野次馬的興味)
てのが大半だったんじゃないの。
それはそれで寂しい国民性と言うかも知れないけど、全国民が相撲ファンなわけじゃないし
世間の話題に何でもかんでも全部ついていって興味持って深く知ろうなんて、なかなかできないでしょ。
まぁ、自分が興味持ってる話題について、周りがそうでもなかったら、寂しいと思うのは理解できるけど、
国民全体に対して「寂しい国民性」とか簡単に言っちゃうのはどうかな。
国民は、みんな結構忙しいし、興味の領域もそれぞれ違うんだよ。