いやあ、日本語ってめんどくさいよ。
日テレの「被害者の写真は別人でしたごめんねー」やテロ朝の「オタク秋葉原=キモイ・犯罪者予備軍」を見ててこれを報道というのはおかしいんじゃないかと思った。やっぱり物事には区別が必要で用語とはそのためにあるわけだから彼らのような変な連中の行っていることは報道ではないと定義した方がいいと思う。そこで「報暴」という言葉を提唱したい。意味は報道の暴力・報道の横暴・報道の暴走をひっくるめた感じで。例えば「バラエティーのフジ・報暴のTBS」みたいに使うと大変よろしい。組織を表すときは「報暴団」としてもいいですね。「シナ人大好き報暴団テレビ朝日」とか。明日からみんなで使いましょう。
求めすぎてるんだろうか
何ができているんだろうか
求めるばっかりで私にできてることはあるんだろうか
求めるといってもただ会いたいとかさびしいとかそういうのを聞きたいだけなんだけど
手をつなぎたいだけなんだけどそれだけなんだけど
多分わかってる
ずれてるだけってわかってるけど
どうしようもなくさびしくて悲しくてそんなに難しいことを求めてるわけじゃないんだ
もう何回も言ってるみたいにもたれかかってるだけで幸せだって事に気づいて
手放しで泣きたいような、抱きつきたいような。
足元には数え切れないくらいのペットボトルが転がっている。僕は静かに膝を曲げて手探りに一本を手に取る。目の前には積み重なってキラキラ光る透明の塔。静かに立ち上がり塔の天辺に揺れないように慎重に積み上げる。そしてゆっくりと手を離し塔が壊れないのを見届けると、またさっきの作業を繰り返す。屈み、手に取り、積み重ね、透明な塔を高く高く築き上げる。それが僕の、僕たちの生きる目標であり意味なんだから。
目を開けると真っ白だった。しばらく経って目が慣れるとそれは太陽の眩しさだと気付いた。カーテンはつけてないので朝になると日の光で目が覚める。今日はいい天気のようだ。ペットボトルを積み重ねる夢から覚めた僕は、顔を洗い、朝食を食べ、着替え終わると、ペットボトルを詰めた袋と脚立と昼食を片手に公園へと出掛けた。今日も一日が始まる。
公園にはもう土井さんが居てペットボトルを1m半ほど積み上げていた。土井さんは73歳という年齢のためか朝早くから見掛けることが多い。他にも近所にはお年寄りもいるのだけど、公園は少し小高い丘にあるので、足腰の強い土井さん以外を見掛けることは少ない。「おはようございます。何回目ですか?」いつものように挨拶をすると土井さんも挨拶を返してくれる。今の塔は6回目だそうだ。いつもより調子は悪いらしい。僕はお気に入りの芝生の真ん中にあるマンホールに行くと袋の中のペットボトルをばら撒いた。さて、今日はどれくらい積み上げられるかな。
3回目に作り上げた3m強の塔がそよ風で崩れた後、休憩がてら芝生に寝っ転がっていると、ケンスケ君がやってきた。いつものように挨拶を済ませると彼は僕の近くのマンホールに荷を降ろした。彼は筋が良いので楽々と高い塔を積み上げる。これは負けてられないと休憩を終わらせ僕もペットボトルを積み上げ始めた。
ケンスケ君が5m弱の塔を崩してしまった1分後、僕の4m強の塔も崩れてしまった。時間もちょうどお昼くらいだったので、ケンスケ君と一緒に休憩を取ることにした。僕は以前ケンスケ君と一緒にいるところをよく見掛けたナオキ君について尋ねると、彼はペットボトルを積み重ねることを辞めて音楽をやっているらしい。ナオキ君の母親に頼まれたケンスケ君が説得に行っても一向に聞き入れず部屋に籠もっているようだ。近所からも白い目で見られ母親も泣いているそうだ。随分アナログだねと僕が言うとケンスケ君も苦笑した。
僕が小さかった頃、政府によって人類の目的が発表されたとき、馬鹿げているとして聞き入れない人が数多くいたことを覚えている。無視して今までの仕事を続けたり、反抗して異議を唱える人達がいた。音楽をやるのは大抵後者の人だった。でも次第にそんな運動も収まっていった。今までの仕事を続けても誰からも評価されないどころか白い目で見られ、反抗して異議を唱えたところで、ペットボトルを積み重ねることが人類の目標であり意味であることはハッキリしたのだから、狂人としてしか見られなかったから。そういった理由から次第に下火になっていったわけだけど、今でもナオキ君のように、たまにはいるようだ。ただ、誰にも相手にされないので、彼らの大半は何年かしたらまた積み重ねるようになる。まあハシカみたいなものだよとケンスケ君に言おうかと思ったけど、ハシカという言葉の方がアナログのように思えたから言うのはやめておいた。
休憩が終わると僕はまた積み重ね始めた。午後になると、人気の少ない公園だけど春の陽気に誘われて、多くの人が訪れて多くの塔が築かれる。僕はさっきケンスケ君に聞いたナオキ君のことを考える。確かにペットボトルを積み重ねることに何の意味があるのかとは誰しも一度は考える。では逆に何に意味があるのかと考えてみたらどうだろう?確かにペットボトルを積み重ねることに意味はない。でもそれは他の全てと同じくらいに意味がないというだけのことだ。僕は公園に数え切れないくらい聳え立つキラキラと光る塔を見て思う。他の全てと同じくらいに意味はないけど、この綺麗な景色分だけは意味があるんじゃないだろうか。いつかまたナオキ君に会ったら見てもらいたいな。そんなことを考えながら僕はまたペットボトルを積み重ねた。
> 結婚しないと生活出来ない+子供を産むのが結婚の条件だから、という。
生むのが結婚の条件なの?
そんなこと言ってる人、観た事も聞いた事もないんだけど。
今の新生児が大学に行くころは需給バランスから考えて大学はさらに入りやすくなるはず。
クライアントが書き込む→サーバから他のクライアントに通知→クライアントはメッセージを受信
Pull型のチャット
クライアントが書き込む→クライアントが定期的にリロードする→メッセージが反映される
確かにチャットとしてはPush型の方が綺麗だけど、クライアントの数が少ない時ってクライアントが1秒に1回ぐらいでリロードしても全然問題ない。
問題はクライアントの数が多くなった時だけど、チャットっていうシステムはクライアントが多くなるほど書き込む人が増える。
だからPushだろうとPullだろうと区別はなくなってしまうわけで。
Push型の通知の間隔を決めるようなことをするぐらいなら、Pull型でリロードの間隔決めてるのと同じわけだし。
結局のところ、PushだPullだで騒いでるくせにいざアプリケーション作らせるとチャットを作っちゃうような人って、Technology Drivenの塊みたいな人なんだろうな。
「キリスト教文化」というから宗教関連と誤解されやすいのでは?
キリスト教といってもギリシャ正教やコプトが広まったわけじゃないし、
実際に英語を普及しやすくしたのは植民地つくりまくったイギリスの文化でしょ。
さらに横からだが仮に漢字圏の国が世界の覇権握ったとしても近代化で大衆に義務教育とかやるときには文字を簡易化するのでは?実際中国は簡体字とかあるし、昔は中国周辺の国でも日本のかなみたいに漢字を元に書きやすい文字をいろいろ作ったりしてた。
育ちの点数にの分布にどの程度の偏りがあるのか知らんが、できることなら標準偏差を基準にすべきではないかと思った
今の日本の若者の進学率は大学4割短大1割専門2割高卒3割くらいだったはず。http://www.mext.go.jp/b_menu/shingi/chukyo/chukyo4/gijiroku/001/03090201/003/002.pdf
三人に一人が最底辺の仕事をしてるってのはいくらなんでも最底辺の範囲広げすぎじゃね?
しかも中年以上だともっと高卒の比率多い。
あと高卒と大側の生涯賃金も人生が終了するかどうかというほど大きくない。
いわゆるFランクとかだともっと差は小さいだろうし無理していかせるほどのものでないと思う。
http://www.zyoutou.com/report/real/real%20(80).html
<男性>
中卒 2億4000万円(45年間)
高卒 2億8000万円(42年間)
大卒 3億1000万円(38年間)
<女性>
中卒 1億7000万円(45年間)
高卒 2億1000万円(42年間)
短大卒 2億3000万円(40年間)
大卒 2億8000万円(38年間)
塾必須か?塾にはバイト以外で行ったことが無いのだが。特に困らなかったぞ。大学に入った後聞いたが、塾に行ったこと無い奴はたくさん居た。親に必要なのは、塾にやる金を稼ぐ能力より、自分で勉強するようしつける能力なんじゃないか?
不妊治療にかかる金考えたら金のためともいえないのでは?それに共働きや独身女性がどんどん増えてることからみても結婚できないと生活できない人ってのも昔よりかなり減ってそうに思うけど。育児の費用労力考えればなおさら金儲けのために子供生む人なんてごく一部でしょ。
親の能力と子の能力に強い相関があると仮定してのことだが、「自分の」子供が5分5分で平均以下に育つのは、統計的に言って、自分が平均である場合だろう。世間の子が5分5分なのは認めるが、子を産むか産まないかの話をするときには、あくまで自分が主体だろ。だから、5分5分というのは実は「そりゃぁそう」じゃない。親の能力が低いときには、親より優れた子が育つ可能性が高い。親の能力が高いときには親より劣った子が育つ可能性が高い。人類の能力には上限と下限があるから。
揚げ足取ってみたかっただけだ。許せ(w
ただ、犬だって躾で駄犬にも名犬にもなる。馬鹿親が育てると馬鹿になる。とは思っている。今時はさ、躾とか向上心とかって笑い飛ばしてるだろ。上を向かない子供が親よりましになるわけは無いよな。
あれ? 話が通じてないかな?
うん。だから、宗教性とは全く関係がないという話をしている。全く結びついていない。
キリスト教自体とは何にも結びついていない。
キリスト教の宗教性とは全く関係がなく、キリスト教文化圏の国が覇権を握っていたことが、キリスト教文化圏の言葉が世界中で使われていることの原因であると言っているのだよ。
キリスト教文化圏がキリスト教と結びつけて思考停止するのをやめてくれ。それは不当な批判である。
そんなわけで、前半のあなたの意見には全agreeな。俺と同じことを言っている。
あなたと意見が分かれるのはここ。
これはもちろん、世界中どこでも漢字が読めるようになるに決まっている。