全くの誤読ですが、このような誤読が生じてしまう状況にそもそもの問題があるのでしょう。
そういう意味で私が最初の投稿者にできるアドバイスは、たとえ心の中でそう思っていても、議論を本質からそらせてしまう危険性のあるような言葉はそもそも口にしないほうがいい、ということです。そうしないと、自分の問題の解決に全く役に立たない議論に巻き込まれて消耗することになるでしょう。残念なことですが。
なんかアレだなあ。女性蔑視がどうのとかいう話になりそうでダリィな。
帰る金も無いってのは嘘、本当は食う金も無い。
マジで死ぬ可能性は少なからずあるなと思えるようになってきた。
働けよとみんな思ってる。俺は少しピンチになるのが好きだ。何故か好きだ。
そして今知った。あの時は金の力があったからピンチなんて屁でもなかった。金の力が無い今、ピンチとまともにやり合うなんて出来っこないぜ。
せいぜい生き延びるのが精一杯だ。お金も大切だけど、日々まともにワークして過ごすってのもかけがえの無いことだったんだね。
誰かに頼ることでしか思いっきり生きていけなくなった今、ていうか喰えなくて死ぬかもしれない今、まともにがんばって過ごすことの人生観ってのを少し垣間見た気がしたよ。
がんばって生きてる奴って人生エンジョイしてるよな。そう思えるよ。対象はなんだっていい、がんばって生きることには計り知れない価値がある。
http://anond.hatelabo.jp/20070218013048
まずなによりも、この人が傷を受けないようにどうすればよかったのか、これから少しでも辛さが減るにはどうしたらいいか、ということを考えることが大事だ。ただ、自分には具体的にどうすればよかったのか、どうしたらいいか、あまりいい考えが思いつかない。また、身近にいれば何かできるかもしれないが、こんなところで何を言っても力になれないような気もする。
この人がたまたま障害者隔離という発言をしてしまったので、その是非を問うような議論が起こってしまっているが、「隔離〜」は、この人が深い傷を受け「それが起こらないためには、繰り返されないためにはどうすればよかったか」という「目的」に対しての「手段の一つ」として語られたに過ぎない。もっと言えば、このような「手段」を語る程この人は絶望していたのであり、語らざるを得ない程、他からの助けが期待できなかったのである。そのことの方が、(一般に、というのではなく)いまここではずっとずっと重要なのだ。たまたま「手段の一つ」として語られたことについて一般的な議論をしても仕方が無いのではないか。
一番問題なのは、「障害者」でもなければ「犯罪一般」ましてや「隔離」などではなく、この社会では「痴漢という行為、あるいは性的被害を与える犯罪やそれに準ずる行為が、あまりにも軽く見られてはいないか」ということのほうである。受けた側はせいぜい「気にしないようにする」ことを求められ、場合によっては、これらの行為はむしろ「受けた側が恥ずべきことであり、沈黙すべきであり、相手を非難するなどもってのほか」というような驚くべき認識さえある(痴漢に関しては冤罪などあらたな問題も出てきていて単純には語れない部分もあるが)。
障害者の話(それはそれで重要だが、この人の発言を批判するという形のそれ)ではなく、痴漢の話なんだよこれは。我々の社会があまりにも性犯罪やそれに準ずる行為を、そしてその被害者を軽視していること。軽視しているからこそ「障害者」などという「対処しないための仮の理由」を周囲が持ち出して場をおさめようとしてしまったこと。それこそ正にここで議論すべきことだ。
(もちろんここでの「議論」によってこの人の気持ちが癒されるなどという楽観はしていないが。)
もやもやの半分は自己嫌悪でできています。
もっと近いところにもたくさん店があったからまさかそんな遠くまで連れて行かれるとは思っていなかった(だから言わなかった)。しかし、結果的には一番遠い店に連れて行かれてしまった(店の前まで行ってから近くが良かったなんて言えないよ)というのが正直なところ。
「店はどこでもいいけど近くがいい」って口に出して言えばよかったね、失敗失敗。
というだけで済む話じゃないの?
もやもやするとか以前の話だよ。しっかりしる。
http://anond.hatelabo.jp/20070218013048
友人(複数)と出かけたときのこと。朝から集まって昼間遊んで、夜になって食事に行くことになったので大き目のショッピングモールに行った。日中ほとんど歩きづめでかなり疲れていたので、自分は「店はどこでもいいけど近くがいい」と思っていたけれど、いつの間にか連れて行かれたのは入り口から一番遠くにある店だった(5??10分は歩く距離)。
文句を言うほどではないが、なんかすっごく疲れた。こういう時のもやもやはどうやって消化したらいいんだろう。
本田氏が挙げる具体的な政策の例としては『無償ないし生活費保護を伴う職業教育訓練の大幅拡充や、丁寧なカウンセリングと選択可能な複数の就労ルールを整備した確実性の高い就労支援、生活保護対象の基準緩和
マクロにやっぱり見合った職が無いだけなんじゃないかと。
これから先富を生むであろう産業を国策として打ち出してその人材の育成としてならあり得るかな。理想として。
でもまあこのままズルズルと沈んでいくんだろうなあこの国は。てへっ。
で、やっぱり行き着くわけだ。
2ちゃんの哲学板とかいつぞやはてブでヒットしたニセ科学の菊池誠さんのBlogじゃないがそこらへんでよく見かけるフマ?なる人物がプライベートモードに追い込んだらしい本田由紀という方が最近朝日新聞で何かの賞を取ってそこらへんの流れからかその人が時流自論を最近担当している記事を読むことがあるのだけれども今日の記事をザッと独断と偏見で引用してみる。
まとめるとこんな感じだった((まとめてるか、ちゃんと要約できているかはわからない))
こういう見解は初めて見たので興味を持ってこちらにメモとして書き込むことにした。
問題は現在、平均的な共通社会意識が「ミクロな次元」の問題として認識するような社会環境に現状の日本にはあることが挙げられるかもしれないかな、と。
それは個々人が協同する機会が希薄化されているかもしれないことにも関連するだろう、とも思う。つまりインターネット((一例として挙げているだけで複数の現在の00年代日本における様々な間人媒体がって話っす。かな))というような副次的生活主体がリアルな生活主体を希薄化させてそしてまた双方が空中分解したまま進行していっている現今の社会環境が、その機会・可能性をますます低下させたまま進んでいっている、のかな、と。
以上、歿。((こんなに引用していいのか(Φ皿Φ)クワ?って今ちょっと不安に思いながらさて外出します図書館とかに。ひきこもりが。))
マクロにやっぱり見合った職が無いだけなんじゃないかと。
マクロに見合った職があるような経験っていうか教育を受けるマクロなものが無いってのもあるかもね。
ていうか両方じゃろうて。マクロがミクロをますます。ミクロもマクロをますます。じゃないかな。
いい感じに悪循環生み出してるからその分のマイナスの部分を国がどうにかせんと負債としていつか暴落しちゃうぜってことでは。大量粛清としての自殺者の切捨てっていうのとかで(ry。うふっ。
じゃあやりたくなった時にやればいいんじゃない?
うあ、パッチ出現だ。しかも期限付きだし。
こうやってスパゲッティ・コード化するんですよね。ころあいを見てリファクタリングしないと。
つーわけで再掲
例
微妙なライン
にゃー?
すごいタイムラグだな。20世紀からタイムトラベルしてきたのか?
その議論まだします?
現実はこれが最新情報→http://anond.hatelabo.jp/20070216092454
まあ世界が宇宙人の存在を否定したって、いるはずと言い続ける連中が
いるしな。いるかもな。
先に断っておきます。かなり長いです。
ちょっと・・・いや、かなり女々しいこと書きます。
ものすごく気分が悪くなるような事も書くので、そういうのを読みたくない人は、読まないで下さい。勝手な言い分でごめんなさい。
でも、もしかしたら、誰かの何かの役に立つんじゃないか?
自分の闇を見せることで、安心できるような人もいるんじゃないか?
そうも思うので書かせて下さい。
何日か前の未明のこと・・・。
3年半くらい付き合った人で、今まで一番長い付き合いだったし、一番長く引きずっていた。
でも最近はそんな事もなく、「もう過去になったかな」なんて思ってた。それを確かめたいような気がして、日記を見た。
まだ引きずっていた頃、見たくて見たくてしょうがなかったけど、我慢して読まなかった日記。どんな事が書いてあったんだろうと読みふけってしまった。(この時点で過去になってない気がしないでもないが、気にしない(笑)。)
そこで印象に残っているのは、付き合い始めの頃に生まれた、彼女の姪っ子と、その弟の写真。1年以上見てないあいだに、ずいぶん大きくなっていた。
あと、何度も遊びに行った彼女の家の、お風呂場がリフォームされていたこと。
そして知らないあいだに彼氏ができていて、別れていて、そしてまた最近好きな人ができたらしいこと。
その別れた彼氏については“別れたあとも友達でいたいと初めて思った”なんて書いてあった。
読んでるときは、特に強い感情は感じられず、『ふーん、そうかそうか、こんな感じだったのか。』なんて思ったくらい。
そりゃちょっとはショックだったけど、『オレにだっていろいろあったし、今好きな人もいるし、これくらい当然だわなー。』って思ったり。
『よし!大丈夫!過去過去。過去になってる。』なんて思ってふとんにもぐった。極端に寝不足だったこともあって、割とすぐに寝られたけど、1時間くらいでまた目が覚めてしまった。
そのとき、ものすごーく、もやもやした気持ちが湧いてきた。でも簡単に言葉で表現できるような気持ちじゃなかった。自分でもどう表現していいか分からないような、つかみどころのない、もやもやした気持ち。
もやもや。
もんもん。
いらいら。
おなかの内側で、真っ黒なわたあめがモコモコ膨らんでく感じ。
どんどん広がって、腕や頭の中にも、内側からまとわりついてくる。
そのあとは、自分でもビックリするくらい、恐ろしい発想が湧いてきた。
本当にヒドい発想です。気分を悪くする人もいるかもしれない、なんてレベルじゃない。大多数の人が眉をしかめるような発想。
でもコレも正直に書いておきたい。だから読み進める人は覚悟して読んで下さい。申し訳ないけど。
例えば殺してしまいたい。その元カノを。あるいはその姪っ子を誘拐してやろうか。殺してしまおうか。愛するものを奪われる苦しみを思い知らせてやろうか。元カノを襲って、蹂躙してしまおうか。
あぁ、書いてて気分悪くなってきた・・・。
ごめんなさい。
でも、そういう発想が湧いてきた。
考えて導かれるものではなく、【衝動】。まさに【湧いて】くる発想。止めたくても湧いてくる。フタができない。フタのかぶせ方が分からない。
もちろん同時に、それを否定する良心的な発想も浮かぶ。
「そんなことしても何の意味もない。」
「愛する人だったのに、その人を苦しめて何になるんだ。」
「そんな事をしたって、どんな喜びもない。」
「愛を相手から奪うことで、自分も永遠に愛を失う。」
「それに『過去』だろ?」ってアタマは言うし、確かに過去だという気がするのだが、それでも湧いてくるものは止まらない。
どうにも止められそうになかったので、なぜ湧いてくるのか、そのみなもとにあるのは何なのか、探ることにしてみた。
単語で表せるような単純な感情ではないけれど、大まかに感じとるに、「怒り」と「哀しみ」の絡まった感じだということが分かってきた。それとその影にちょっとの「寂しさ」が混じってる。
なぜ「怒」るの?
なぜ「哀」しいの?
なぜ「寂」しいの?
問いかけてみた。考えてみた。
・・・そして
・・・少しずつ分かってきた。
その人は、オレにとって、一番強く「必要だ」と感じた人だった。
でも、その人はオレを必要としなかった。
全く。
実は日記の一覧を見て、自分のことにふれていそうな日記は片っ端から読んでいた。
でも、どこにも・・・・・・。自分とヨリを戻したいと感じたことは無かったようだった。
むしろ求める彼氏像のなかで、何度も「経済力」と「包容力」にふれていて、自分が否定されたような気がしていた。フラレた当時のオレは、その両方とかけ離れた存在だったと思うから。
自分が一番必要だと感じたひとに、全く必要とされなかったこと、されていないこと。
その絶望が「怒りと哀しみの絡まったもやもや」の、みなもとだった。
そうかぁ・・・。そりゃ寂しいよな。
哀しいよな。怒りを爆発させたくもなるよな。
実際に行動に移したりしなければ、
思うだけならば、誰も責めたりしないよ。
うん。もちろん。行動に移したりなんかしない。
何も得られないし、それ以上に失うことは、わかってるから。
だから、湧くままにまかせればいいじゃないか。
そう思ったら安心して、
いつの間にか眠りについていた。
コレを書くことによって、許されることを望んでいるのかもしれない。「コレを誰かが読んで、密かに『あぁ、自分だけじゃないんだ。あなただけじゃないよ。』と思う人がいるかもしれない」、という妄想にすがっているだけかもしれない。
でも、妄想でもいい。まぼろしでもいい。
人間のなかには、どす黒い感情が湧いてしまうことがある。
どんなに前向きに考えようとしても、
どんなに陰鬱な考えを振り払おうとしても、
出来ないときはある。
それでいいんだ。
そのネガティブな感情もいつか、役に立つことがあると信じているから。