物を借りてる&家庭内でのコピーはOK、ってのはわかったのだけど、結局、
って感じの疑問があるわけで。
私的コピーってのは、あくまで自分が使用する権利をもつ物の代用としてコピー品を使うって事が前提だよね。
だから、その物の使用権ががなくなった時点でコピー品の使用権もなくなるんだよね?
CDに使用権が付随してる・CDの所有や借用が使用許諾、と解釈するのが一番しっくりするんだけど。
昔は、すくなくとも通常の個人の範囲では。物質と著作が不可分だったから、物質だけの話で問題なかったわけで。
これが、個人でコピーするのが容易になって、物質と著作の分離が出てきたんだけど、
そのさいに、昔の利用形態を、物質の使用権利が著作物の使用権利と考えるとすんなりいくと思うんだけど、この考えじゃ、駄目なのかな?
障害者といえば、障害者を天使だのなんだのとやたら美化する人々を思い出すが、彼らは実在するんだろうか。どうも都市伝説の風味がある。「数十人で手を繋いでゴールする小学校」が嘘だったように。いや、まあ、そういう掲示板を見ると、そういう書き込みがあるので、完璧な虚像とは思ってないけども。
んで、人権擁護団体と聞くだけでうさんくささを感じて忌避しようとするほど彼らは嫌われてるわけだが、下手に障害者をかばったら自分も彼らと同じに思われると感じて自衛的に障害者を嫌うってのもあるのかなあ、と。人権擁護団体のせいで人権侵害が拡大してるという、不条理な構図になるわけだ。
そもそも人権ってなによ、と言われてきちんと答えられる人がほとんど居ないのも要因か。定義っぽいものの暗誦ならできそうだけど、理解してるかというとそうでもない、みたいな。そのへんの漠然とした認識に、障害者は天使だとか同和とかが植えつけられて、人権=うさんくさいって意識ができあがる。義務教育における人権教育って、実務的には差別の見本市なだけだし。
人権とかポリティカリーコレクトなことを楯にされると、学校とか行政とかスイミングスクールも反対しづらいみたい。そこらは役所お得意の毅然とした対応しろよ、とも思うが、波風立てたくないんだろう。立ってるけども、そういうんじゃなくて、圧力とか。ああ、タブー視されるのもこれか。
XPが発売された頃、下記のような出来事があったと記憶している。
XPが発売されて最初の5月(だったと思う)、OSの時計が正しい時刻・日付を示さなくなり、オタク系ニュースサイトでもそのことが話題になり、それなりにこの騒ぎが広まった。少し後になって、それは正規購入ではないOSについて起こる現象だと判明し、このことは急速に話題にならなくなった。
あったよね?こういう騒ぎが。
この記事にすごくクリリンしたい。
http://anond.hatelabo.jp/20070218174000
5年位前の山手線で、本当にお尻触ろうとしてる多分10歳くらいの男子小学生見たことある。
女性の後ろにたってそーっとお尻さわろうとしてるの。で、ちょっと触ってはあたりをきょろきょろ。
女性は気にもせず、しばらくして下りちゃった。
「甘えるな」と言う人は、「努力をしない人」がなぜ努力をしないのか考えたことがあるのだろうか。努力をしなければ泥沼にはまるだけ。彼らだってそれを自覚しているだろう。それなのに何も行動を起こさない。努力をしない。なぜだ。「甘えてる」から? 誰かが救いの手を差し伸べてくれると信じているから? 違うだろう。行動を起こせないんだ。何をすればいいかわからないんだ。「甘えるな」と言う側はそれがわからない。ただ単純に「俺は努力した、こいつらは努力しない、よって非難してもいい」と考えて自己正当化する。完全な見下しモード。だからムカつく。
似たようなことやって嫌われてる奴、もういるからなぁ。
誰とはいわないけど、増田内でツッコミが入らないのは全開超スルーされてるのだってこと本人は気付いてなかったらしい。
ほどほどにやる分にはうまく行くだろうけど、それもきっと一時的だよね。リスクのほうが大きい気がする。
「自分のブログに知名度がなくて、一生懸命書いた記事なのに、反響がなかった」と思うときは、その記事のサマリーを、増田に書けばいいんだと思う。増田で反響があったら、トラバして、元記事に誘導する、みたいな。匿名性?
私は"子供"が嫌いだ。
と言ったら、母性に欠けるだとか社会とズレている人だとか差別をしている人だとか思われるだろうか。
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背の高い、狐みたいな顔をした奴だった。同い年に見えたが実際は早生まれかもしれない。
授業と授業の間に教室間の移動やトイレに行く時間があるのだが、
私が廊下を歩いていると奴は後ろにそっと近より、さっとスカートをめくった。
この気持ち悪さをわかってもらえるだろうか。
スカートなので布一枚しか視線を隔てるものがない。
物心つく前の自分にはそれはもう本当にただ単純に「気持ち悪いこと」でしかなかった。
保健室の前、運動場、挙句の果てには校長室の前ですれ違った時まで。
痴漢は続いた。
ちょうどその頃自分は小学校の体育の授業で性教育の初歩の初歩を習った所だった。
「セイシが女の子にあるランシとくっついて赤ちゃんが生まれます」
それだけ習っていたので、自分は
「もしこの男が這わせている指にセイシがくっついていて自分の体に入って赤ちゃんができたらどうしよう」
と本気で心配していた。そう考えていたことは誰にも言わなかったが。
本当に幼かったんだと思う。
痴漢にあっていたのは自分だけではなかった。
同じクラスのひとつ年下の女の子たち((確か当時自分は小学四年生くらい))もみんな被害にあっていた。
親や先生に訴えたら話を聞いてくれた。それは恐かったねと同情してくれた。
だけれどなかなか状況は変わらなかった。「話はしたんだけどね」の一点張りだった。
先生から耳打ちをされた。「あの子位の年頃はみんなするものよ。ちょっとぐらい我慢しなさい」
そして何度もの懇願のすえに男は私たちのクラスから姿を消した。謝罪も何もなく。
後日私は親の都合で引越しをした。
そしたらそこにはあの男が平然といた。
そして警戒していたもののやはりスカートをめくられてしまった。
何も変わっていなかった。何も解決していなかった。悔しくって涙が出た。
「言ってもわからないんだから仕方ないじゃない」「可哀想な人だから許してあげようよ」
"小学生"は合法的に犯罪を犯すことが許されているのだろうか?
今なら周りの大人の対応や言葉の選び方が悪かったのだとわかる。
だけども、あちら側にまったくの責任がなかったとはどうしても思えない。
社会に出る以上、どんな年であっても社会のルールは守らなくてはならないし
ルールを破ったならばルールを知らなかったとしても罰せられなければならない。
そして例えばそういった人の親や保護者も、社会に出す以上責任を負う義務があると思う。
その人に合った教育を受けさせなければいけない。
大人だってコミニュケーションが苦手だったりするのはざらにある。
だけども「設計図」つまり例えばDNA的な点などで
どうしても治らない本人にも誰にも非のない成長の時期があるのはまた別の話だと思う。
努力ではどうしようもないものがある。しかしそれは過ちを犯す言い訳にはなりえない。
自分が将来子供を授かったとして、もし堕胎可能な時期にその子が男の子で小学校に通うとはっきりわかったら
自分や自分の子供が傷つくだけならまだいい。苦労しようとかまわない。
だが、自分以外の見知らぬ誰かの人生を狂わせてしまうのではないかと思うと怖くて仕方ない。
匿名だからこそ言えることだが、自分は「社会に出るのに不適切な時期の男の子は隔離されるべきだ」と考えている。
もちろん、社会に出る訓練をしてそれでもどうしようもないとわかった後に。
例えば一月の男児突き落とし事件も、男性には前科があったはずだ。だが繰り返された。
わかっていたのにどうして防げなかったのか。
男の子は確かに生まれながらに不本意なハンデを背負っている。
しかしそのハンデが言い訳になるような社会のままでは差別もなくならない。
まだたった17年しか生きていなくて知らないことのほうが多い自分だが、いま思うのはそういうことだ。
つーかひろゆき訴えても逃げるべ。
話にならない。
考えて書くだけ無駄。
さっさと金払え終了。
アドバイスが集まらないから返って悲惨だよ。
認めたくないだろうがそういうこと。
買ったCDだろうと借りてきたCDだろうと、家でコピーするのは基本的に自由(著作権法30条「私的使用のための複製」。) 但し次のような制限がある。
権利を貸りているからセーフなんじゃなく、基本的のお家の中までは著作権者の権利が及ばないようになっているという事。でもそれだと産業的に問題があるから細々とルールが追加されているんだと思う。
繰り返しとな。動画も貼らずに繰り返しとな。
http://youtube.com/watch?v=qJqUVzH2YB8
与太はともかく。どうもああいうアイドル臭い声が苦手でね。あなたの趣味を否定する気はないから、気を悪くされたら申し訳ないのだけれど…やっぱ駄目だ。あんな声でコロコロ歌われると虫酸が走る。
http://anond.hatelabo.jp/20070218000730
「窓使いの憂鬱」でググれ。健闘を祈る。
言いっ放しも悪いので自分でもググッた。開発止まった上 Windows Vista 非対応なんだな。使えなかったら申し訳ない。
2回じゃ足りない。2回だとただの下手な歌だから。あれは何度も見て中毒症状を起こさないと楽しめない類のものだから。
http://www.youtube.com/watch?v=3jU2QKJfOQk
この動画はやられた。
コレ日本版の Xbox360 でも遊べるんならコレだけのために買ってもイイとすら思いながら見ていたら…MAD モノだと気づいてがっかりした。あと、この動画に付いてるブクマのコメントがこの動画に否定的なのを見て、ちょっとつまんなくなった。
世の中はみんながみんな「とかちつくちて」だの「ごまえー」だのが好きだってんじゃない、なんて今さら書くことでもないから増田君にきいてもらってみる。
体は大きいが小学校低学年並みの判断能力しかないんだから叱り飛ばせばいいんだ。
スカートめくりをしているような男の子がそのまま大きくなってしまったようなものだ。きちんと叱る必要がある。
誤解を恐れずに言えば犬のしつけと一緒。
ただ保護責任者一人に罪をすべてかぶせていいのか?という問題もある。
こどもを投げ落とした知的障害者に変わって彼を雇っていた会社が賠償をおこなっているとか。
かの会社もかなり慈善事業的な運営である。
社会に受け入れ先のない人、ましてや前歴がある人を雇いたい人など居ない。
だが誰かが受け入れて管理しなくてはならない。
だれかが叱ったり褒めたりしてあげなくてはならない。
体が健常なのに精神が未発達であるのなら家に閉じ込めておくよりもプールなどで適度に発散させた方がコストも最終的な被害度も軽微にすることができる。健常者との交流は健常者次第でいい方向に働かせることができる。
責められるべきはプールのコーチである。現場を押さえて叱らねばならなかった。
彼らは犯罪はその多くが巧妙ではない。
なにより悪さをしない人の数のほうが多い。
罪を憎んで人を憎まずというが、そこまでは要求しない。
せめて人を憎んで類を憎まずであってほしい。