俺は小3ぐらいの頃から特殊メイクの動画を見ながらふとんに陰部を押し付けて気持ちよくなるということをしていた。
しかし俺にとってそういうことは風呂に入ることやマッサージチェアに肩を揉んでもらうことや脇をくすぐられるときの気持ちよさと同列だった。
どれも気持ちさの種類が異なるがどれが特別ということもなかった。どれもがそれなりの気持ちよさを味わえるということで欲しているだけのことだった。
小3以前にも陰部摩擦は行っていた。動画を見ながらの方が気持ちよくなれるというのは偶然の発見に過ぎない。
しかも小3の頃はまだ異性に対して恋愛感情が湧くほど精神も発達していなかった。つまりそのとき使っていた「おかず」は性愛の対象とも異なる。
ゲイだったわけでもない。なぜなら今ちゃんと女に飢えているからだ。
つまりそのときのオナニーは性愛とは切り離されたものだった。このような状況でオナニーを欲することは「性欲」と言えるのか?というのは最近の疑問だ。
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しかしもし性欲と言えないのだとしてもそれはそれで深まる謎というものがある。
当時の俺と、今の俺。求めてる快感に大差があるとは思えない。
女体を求めるのは結局、より大きな「気持ちよさ」を求めているからに過ぎない。
オナニーとセックスでは快感に量的違いはあっても質的違いはないものだと自認している。
本質的には当時と異なるわけでもない気持ちよさを期待して、単なる性知識の充実により、より気持ちよさそうな女体を欲しているに過ぎないということになるだろう。
つまり本質的に動機が同じなら、片方が性欲でなければ、今のむらむらも性欲といえないことになってしまうのではないかということになる。
物理的に快感を生じる器官があれば、それを刺激するのは自然な行為であって、 別に性欲かどうかは関係ないんだよ。 恥じらいも何も分からない幼児が性器いじりするのと同じ。
恥らいとかなくても性欲は性欲じゃないとも思ったこともあったんだが違うんだね
概念とかそういうのは全部文化的な後付けだろ。性欲なんつーもんらとにかく繁殖して環境適応しやすい性質が自然に選択された結果でしかなくて、意味も整合性も理論も何もかも関係...
俺実は性依存症じゃないかと思うんだ。 でもそれを認めてしまうと「性欲が高いふしらだな人間」ということになりそうなのが嫌だった。 その理論武装として、幼児が求めるそれと差な...
依存症は単にドーパミン出すぎてラリっちゃってるだけじゃないの
(続き)なぜ性欲が強いことや淫乱なことは悪い風に言われることがあるのか納得できない 具体的にはオナニーをたくさんしてるのがバレると、淫乱などと言われる。この「淫乱」は明ら...
(続き) 無料で配られてたサイバーガシェットの本があって、その美山加恋の表紙で抜いてた 小学生のころのことだし、もうその本ないし、とっくに時効だ