まあよくもなにも「知らない」って言ってるんだから知らないのはまちがいないんですけど、温泉むすめって横のつながりだと思うんですよ。
温泉地同士が結びつき合って温泉むすめを一人知ればそこから他の温泉むすめを知っていく。
地元にはこんな温泉があるんだ、という事を知る。こんなところに温泉地あるんだ、とか温泉むすめをきっかけに他の温泉地にも興味を持つ。
そうやって温泉地全体が盛り上がっていこう、知られていこう、集客していこうっていうコンテンツだと思うんですよ。
「パネルを置くのは温泉宿の雰囲気を壊さない様に慎重を要する」
「温泉に限定せず湯沢のお客さんは、①スキー・スノボーの若者②同ファミリー③同外国人④フジロック⑤昔からの温泉客に大別される。公共キャンペーンをするなら、どの層にどうヒットしてどう誘客しようと思っているのかその現実的目算をきちんと定めてからでないとできない。」
「何となく『萌え絵のキャラを作ればオタクや外国人が来る』は、正直安直だし、現実的にそのような事が起こる可能性が高いとも思えず、到底公費は入れられない。」
「それぞれの温泉地に、それぞれその地にあった色々な方法があります」
「知事時代、特に湯沢を目玉として観光開発を進めようと試み、かつその後も何度も湯沢の温泉に行っている私がこのキャラを知りません。知人の温泉ホテルの主人連から言われたこともありません。」
「何のストーリもない寄せ集めの「温泉娘」を比較するのはガルパンに失礼」
挙げていくときりがないんだけど、横のつながり的な発想が全くない事はわかる。
なんなら湯沢しかみてない。湯沢だけ考えてる。そして湯沢にはいらないといっている。
そりゃまあ東京から新幹線で一本だしスキー場もあるしそうじゃない他の温泉地なんか知るかって気持ちになってんのかもしれない。
それだけならまだわからんでもないがそこから「だから温泉むすめはいらない」となっている。
これって単純に温泉むすめをちゃんと理解してないか、温泉地に一方的に何かを寄与する装置と考えてるからなんじゃないだろうか。
他の温泉地はそれをフックにじゃあそこからどうやって集客していこうか、あるいは集客の一手段として温泉むすめを見ているのに。