2021-01-12

主張するとき主観客観は一致すべきか

ひとつ例にとろう

最近、気づいたものなのだ

女性ITエンジニアに向いていないという元google社員文章問題になったことを覚えているだろうか

その文章に対して、日本のあるブログに以下のような主張をしていたものがあった

"女性ITエンジニアに向いていないが、不利ではない"

この人が言いたいことは、要するにこういうことである

"女性にはITエンジニアに向いていないとされる客観的事実存在するが、不利とは思わない主観的事実がある"

私はもんもんと考えていたが、これは逆にしたほうがすっきりするのではないかというのは一つ思いついた。

"女性ITエンジニアとして働くのは不利ではあるが、向いていないとは思わない"

向く向かないというのは主観的だと思うのがその理由

まぁそんなことは主題からはどうでもいい

  

この人は、向く向かないを客観的事実から判断し、有利不利を主観的事実から判断して使い分けたのだが

それが一致していないのである

客観的にはこうであるが、主観的には違うというのが成り立つのだろうか?

1+1は2であるが、私は3だと思うということが可能なのだろうか?

    

基本的客観的事実をもって主観的意見へもっていくというやり方が一般的だと思う

客観的にこうであるから、私はこう思うみたいな形だ

これが一致しないと主観的意見客観性存在しなくなってしまうという問題はある

それと、一致しない場合客観的事実を温存してしま危険性があると思う。

主張の理由である主観主観勝利したとしても、主張とは関係ないのだから客観は戦うことがなくなってしま

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