雑談力、話が面白い能力、相手の言ってることを察する能力、自分の思いを伝える能力、サイキョーのワタクシの意図を寸分の狂いなく理解する能力。どれが「コミュ力」なのか、他人をコミュ力が無いとか批判する奴ほどこの5つの全てを持ってない。雑談力や話が面白いのは全く関係ない話なので、それは今回論外として考えない。
コミュニケーション力の定義は「自分の思いを伝える能力」以外にしちゃいけないのよ。
「コミュ力とは相手の言ってることを察する能力のこと」にした瞬間、「サイキョーのワタクシが言ってることを理解してない!コミュ力不足!」系バカが出てくるんよ。「製造業は増産すれば演劇と違って利益は確保できる」を本邦のコミュニケーションの専門家が言って、「買い手が居なきゃ増産もキリンさんもねえだろ阿呆か」に対して「曲解されてる!」って泣き言言ってる時点で、この専門家の言ってるコミュニケーション能力は自分ではコントロール不能なゴミでしかないっていう自白にしかなってないの。で、自分はコミュ力があると勘違いした人間が我こそはコミュニケーションの王でござい、をやってる、どんな最悪の喜劇だ。
「自分の思いを伝える能力」以外は自分でコントロール不能、他のを鍛えようとしても無駄。本意とは違う受け取り方をされたときに、自分の伝え方がまずかった、と思えない人間がどんどん胡散臭くなってドツボにハマる。コミュニケーションを他責にする考えは害悪。
パオロ・マッツァリーノが コミュニケーションというのは本来「情報を伝える」という技術的な意味合いでしかなく 親睦を深める的な意味で使われている日本はおかしいみたいなこと...
言ってたな、懐かしい