亮太は今まで見たことないドロドロな物に恐怖を覚えたのか、昨日から全く元気がない。ますます自分が下痢だということを伝えづらくなった。
それと同時に、亮太ぐらいの歳の子でも下痢の恐怖が迫っているのだと再確認した。下痢はいつ、どのタイミングでやってくるかはわからない。一生下痢とは無縁な生活をおくる人間がいる一方、毎朝のように下痢に悩まされている人間がいる。それでも表面上は平等や同じように生きている。
医者にはよく相談をする。最近は専門のカウンセラーを紹介してもらい、日々の下痢の悩みを聞いてもらっている。
それと同時に待合室にはいついっても多くの人が居て、下痢に悩まされている人は多くいるのだと再確認する。
今では下痢への認識が強まっており、不当な扱いを受けることもないが、昔は下痢は死ぬまで治らない不治の病ゆえに、不浄だとか不潔だとかまるで細菌兵器のようにいわれていた。また、空気感染するとも言われており、ウンコマンなどと呼ばれ江戸時代中期から平成の末期までは不当な扱いを受けていた。そう考えれば、医学の進歩や、過去の人の啓蒙活動のおかげで何ら変わりのない日常生活をおくれていることには感謝するしかない。
最近ではほとんどの電車にトイレが備え付けられているが、昔はトイレが備え付けられていない電車も多かったという。今では考えられない話であるが。朝の満員ラッシュで急にお腹が刺すような痛みを感じ、備え付けのトイレに助けられた事は下痢患者になってから数え切れないほどある。
冒頭で話した亮太の友達も、今日もしっかりと登校をしているようだ。
これもひとえに先生のおかげだとおもう。