かつて人間のプロ棋士がAIに負けたとき、機械よりも弱いプロ棋士に意味があるのか。という話題があった。
車が発明されたときに陸上選手はいなくならなかった。だからプロ棋士もなくならないだろう。人間が限界を目指すことに意味がある。
確かに陸上選手は残ったが、しかし車の普及とともに徒歩のメッセンジャーは消えた。
ではこれらの違いはなんだろう、と考えたときに、違いはつらさだ。ということに思い至った。
人間は、何を成したかではなく、頑張ったかどうかを評価し、感動する傾向がある。
頑張るとはすなわち、苦痛に耐える、ということだ。他人の苦痛を見て喜ぶ機能が人間には備わっている。
身体障害者が登山する。貧しいうまれの黒人がスポーツで成功する。
努力する、誠意を見せる。あなたのためにこんなに苦痛なことをしましたよ。が喜びになる。
これはAIにはできない。AIが人間のような感情表現を獲得したところで、多くの人間はAIに共感することは難しい。白けてしまう。