2016-01-08

テロ肯定してる人ってけっこういるんじゃない?

権力からしたらテロは悪だし、屈してはいけないものなのだ。結果としてテロリスト要求部分的に取り入れたとしても、テロに屈したというポーズは少しも見せてはならない。これは駆け引きであり、戦いでもあるからだ。権力側の人はテロを必ず否定するだろう。

しかし、権力側にいない人にとってテロは実は否定肯定もしないものなのかもしれない。無差別殺人テロによって親類や友人が殺されたらたまったものではないが、そうでなければ、そのテロがどの程度効果であるか、が気になるところなのではないか。

テロコミュニケーション不和から生じる暴力のようなもので、ある程度の目的があってなされるものである。その目的目的への合理性テロ評価する基準であり、テロには屈してはいけないなどと本気で考えてる市民はあまりいないのではないだろうか。

テロニュースを見たとき自分がすこし興奮していたことに気づいた。それは、この世の中に対して漠然といだいてる不満を爆発させてくれるような興奮だ。この世界を一発殴ってくれたのか、という喜びでもある。しかし、たとえばisなんかも一つのさな国を作って理不尽なことをしているのを知ったらそれも誰かに殴って欲しくなる。それも、アメリカフランスにではなく、isに不満を持ってるisのなかの人に殴ってもらいたくなる。

この世界平等ではなく、強いのは金と権力を持ってる奴であるそいつらを一発なぐるテロに隠れて拍手している俺はテロリスト予備軍なのだろうか。それは違う。なぜなら、テロリストになるのは割に合わないからだ。変な理念を植えつけられるような洗脳をされない限りやろうとは思わないだろう。だからこそ、僕は表ではテロは怖いとか言いながら、今日も密かにテロに期待する。

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