私が生まれてこなければ母が私を愛することも憎むこともなかっただろうし、私が母を憎むことも生きることに苦しむこともなかっただろうに。
母親の愛というものはいつだって無償の愛ではない。そんなことはこの世に母性本能などというものが存在しないと気づいた時から知っている。母性なんてものは支配欲、庇護欲と社会的承認から成り立っているお粗末で、なおかつ便利なものだ。つくづく家族というものは本当に奇妙なコミュニティであると思う。
私はいつだって自分が生きていることが不安で仕方ない。私は何故生きているのだろう、いや、私は生きているのか?
この世に命あるものとして存在している以上、死ぬことのハードルはとても高く、そしてとても低い。自ら死のうなんて思っても人間はそう簡単には死ねないし、そうかと思えば事故や病気であっと言う間に死ぬ。他人の訃報を聞くたびに、何故自分が死ななかったのか不思議に思う。私が死ねば良かったのに。
生きているわたしは死にたいと切に願い、同時に楽しく穏やかに過ごし人生は最高だなぁなどと言う人に憧れる。私はいつになったら生きるのが上手になるのだろうか。もう二十年も生きてしまった。幼い頃、心身がとても病弱で何度も入院した。家族は私がこんな歳まで生きられるとは思っていなかった。私自身はそこまで自分の死を意識せずに生きてきたし、身体が強くなって良かったとも思わない。むしろ、幼かったあの頃に死んでいればと強く思う。
そんな、、そんな悲しいこと思わないでよ。