2015-06-09

労働に終わる生活少子化とのチラ裏

すげーチラ裏

少子化問題についての時間的余裕の関係(ってか長時間労働問題)について。

まず、子供を育てるにはそれは膨大な時間が、手間がかかる。それはとても大きな問題な訳なんだけど、子供が生まれてくることに関する価値観的な問題にも時間的余裕の有無が関わるだろうなーと思って、なんとなく書いてみた。

我々が労働の中で直面する価値観生産すること、達成すること、協同すること、勝利すること、成功すること、成長すること。労働においてよいとされ、追求されていくものだ。だが、その価値観を真に我々は肯定できているんだろうか。『生産!』『達成!』『協同!』『勝利!』『成功!』『成長!』できてそれを楽しいと思える人間はいいかもしれない。けれど、それ以外の人間はどうなのか? 多分納得できてない人だって多いはずだ。しかし、そんなことを言っても、価値から取り零されながらでもこの仕組みの中で生活していかなくてはならない。そんな世界砂漠のように感じはしないか。そんな世界の中に子供を生み落としたいと思うだろうか。労働価値観が支配する世界を、自分が仕方なく生きていくならともかく、新たな命に勧めたいと思うだろうか。

もし、生きる中には他にも人生を賭けて追究される価値があり、世界は豊かだ、と思えるのなら、子供を生み落とすことは祝福ともなるかもしれない。ただしそう思うには、親となりうる成人の方に、労働以外の価値を追究していくだけの時間的な余裕が必要だろう。現状の長時間労働体制では、趣味の欠片を続けるのが関の山という場合も多いのではないか。それでは他の価値観を深く育んでいくに足る余裕なんてない。

なんかやりきれなさが湧いてきたので。

  • 時間の余裕じゃなくて、何つーか、精神というか文化というかそういう問題だと思う。 時間があったって労働以外に価値を感じていなければ、その時間を労働に費やすだけだ。 そして現...

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