2015-01-10

ふと、幼稚園の頃におともだちの家に行くことになって家の前についてからひとりだけ怖くて入れなくてそのまま帰って母親に延々と尻叩かれ続けたことを思い出した。

池とか庭とか縁側とかあってすごすぎて、みんな普通に上がってたのに足がすくんで入れなかったんだ。

金持ちの家が次元違いすぎて怖かったんだろうね。

金持ちからって差別するなという意味で尻叩かれたなら(今なら)わかる気がするけど、そういう諭しは理解できずに、力任せみたいなものを感じながら叩かれた記憶がある。

ただひたすらに怖くて、なぜ叩かれたのかずっとわかってなかった。

たぶんこれからママ友にどういう顔して会えばいいんだよこの野郎みたいな感覚(も少なくともあった)だろうなって思う。

自分がもし当時の母親と同じ年で、自身は貧しい家で育ってるのに裕福な家の奥様に囲まれ続けて、鬱屈としてる中で娘が同じことしたら、たぶん同じ感情を抱いたかもしれないから何とも言えないし、そうなっても仕方ないと思う。

けど、そんなふうに自分も娘を叩くのかもしれないと思ったらやっぱり子どもなんてとてもじゃないけど育てられないとも思う。

やっぱり、少なくともわたしには、子どもってもうおろせない絶対逃げられない状況に追いつめられないと育てる覚悟まれないんだなって改めて思う。

この先やりたくなくても思わずやってしまうかもしれないことの方が怖くてたまらない。

そんな人間になる自分が怖くて、けれどそれってつまり、不幸な子どもを増やさないためなのではなく結局自分が望まない自分になってしまわないために守ってるだけなのかもとも思う。

ほんとうにクズ過ぎて嫌だ。

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