歌舞伎町といってもホストや客引きといったようなものではなく、雀荘で働いていた。
麻雀が好きな人は知ってるかもしれないが、いわゆるメンバーってやつ。
そのバイトがすげーしんどくて、勤務時間が22時-翌10時で休憩は30分もない。
後々大学で労働法とか勉強したときに、いかに自分がヤバイ環境で働いていたかを思い知った。
でもそんなバイトを辞めなかったのは、その雀荘に集まる人たちに惹きつけられたからだ。
ホストやキャバ嬢といった「歌舞伎町の人間」って感じの人より、断然サラリーマンや老人の方が多かった。
なかでも、毎週月水金の夜3時にやってくるじいさんがすげーいい人だった。
いつも俺にパンを差し入れしてくれて、麻雀打ちながら戦後の話や東京オリンピックの話をしてくれた。
結局あの人は何歳だったのか分からないけど、大分年はいってたんじゃないだろうか。
じいさんはまさに昭和の麻雀の打ちてで、じっくりと大物手を狙うタイプだった。
それに対して、他のメンツは鳴きを多用する現代風の人がほとんど。
今思えばじいさんは、残り少ない時間をじっくり楽しみ、麻雀を打っていたんじゃないだろうか。
貴重な余生を俺みたいなやつに割いてくれていたと思うと、なんだか泣きたくなってくる。
それは多分、俺がじいちゃんっ子で、死んだじいちゃんが大好きだったからだと思う。
いろいろあって、そのバイトは辞めることになり、俺は歌舞伎町を去った。
じいさんは元気だろうか。
あの元気な「ツモ!!」という声と、温かい「おう、増田。ちゃんと飯食ってるか?ほれ、このパンでも食え」
という言葉が甦る。
いつまでも元気でな、じいさん。