2013-11-01

魔法少女まどかマギカ新編 「あの子にもう一度会いたい」と願ってしまった僕たち。

魔法少女まどかマギカ 叛逆の物語」を観た。

 最初感想は戸惑いだった。

「あの子にもう一度会えるの?」

と途中までは泣いていて、

「ああ、そう願うこと自体が業だったのか」

最後は涙は出なかった。


 そして思い出したのはTV版が終わったとき、僕は確かに

「あの子世界を今のように作り変えたのならば、その願いを汲んで、次に来る者たちのために、僕たちが世界さらに作り変えていかなければいけない」

と思ったのだ。

 生まれて初めて、信仰者の気持ちが分かった気がした。

 ただ僕にとってのまどか造物主ではなくて、まどかの前にも世界は何度も願いによって書き換えられていただろうし、まどかの後にも世界は書き換えられていくのだ、と自然に思っていた。


 ただ、それがほむらによってだとは思い至っていなかった。

 ほむらは、書き換えられたまどかのいない世界を受け入れて生きるのだと迂闊にも思っていた。

 それが、なんとも歯がゆい所詮僕にとってまどかは「向こうの人」「いつかの人」だったのだと思い知らされた。

 ほむらのことを普通に想像すれば、その人生はあまりにも過酷なのに。

 ずっと、時間を繰り返してまで隣にいたかった「あの子」が「誰も知らないみんなのあの子」になった時に、それを笑って見送れるほど、「それでも自分だけでもあの子の願いを汲もう」と思えるほど人は強くない。

 そしてこう思うはずだ。

「あの子にもう一度会いたい」


 でも、きっとそうなのだ

 世界が何度も書き換えられてきたとして、その全てがまどかのような博愛によって書き換えられた訳ではない。

 時には「愛」という名の執着によって、時には明確な悪意によって世界更新されてきたし、これから更新されていく。

 そしてそれは、意外なほどの近さで僕たちが背負っているはずだ。

 神も、悪魔も、かつて僕たちと同じ人間だったのだから


 あの願いは邪悪だったんだろうか。

 そして、この結末は悲劇なんだろうか。

 そう言ってしまうことで手から零れ落ちるものは、あまりにも大きすぎるように僕には思えてならない。

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