2012-12-13

女の子を殴りそうになった話(自虐風自慢ではない)

世の中では何故か女性を殴る男は最低ということになっている。まぁDVD再生なのは同意だけど。

以前から俺はある女を憎んでいた。憎んでいたと言っても接触したときイラッムッとするくらいだが。生意気なのである

具体的にどういうことかはハッキリとしている。彼女ほっともっとの店員なのだが。よく鉢合わせになるのだ。

容姿特に可愛くもないがこの話をすると周りがフラグだのなんだの囃し立てて話にならない。

気色の悪いことに俺と話すときいつもニヤニヤするのである。こういう暴露ツイッターですると今はすぐ特定されるんだってな。

ツイッター個人情報を普段から書いている時点で脳無しだが、そのアカでぼくろするのは輪をかけて馬鹿だよな。

スコッチバクロマンというネタがあったな。スイカとめて、みたいな。通常の思考だと俺をバカにしていると解釈するのがさも当然であろう。

さすがに好意を持たれているとは考えまい?まさかそんなことが。だがそのまさかだったのである

しかしながら俺は通常の思考回路ではないので俺を嘲笑っていると受け止めてしまった。

まりどういうことか。どうも俺は人の心がわからない割には人から好かれるらしい。好意といってもラブじゃなくライク。

だがそのライクが曲がりモノなのだ。愛と恋の違いが何かなど知ったことではないが、好きよ好きよも嫌のうちという言葉があるように

好きと嫌は正反対のようでいて似ている。ただ「好きの反対は無関心」とか言うやつ、お前はダメだ。絶対に許さない、絶対ニダ。

「人の夢と書いて儚い」と言うお前もだ。んなわけで相手の好意が発覚した段階で普通は相手への怒りを鎮めるのがまともな大人なのだろう?

ところが俺は無意識に我慢してたんだろうな。反射的にコブシをぐっと握りしめてしまった。

振り上げた拳の下ろしどころに困るとはまさにこのことである。振り上げてないけど。

振りかざすなら論理だけにしておけとあれだけ人に言ってきた身分でありながらまさか自分暴力男にあわやなりかけるとは。

あわよくば「感じのいい人」と思われたいという願望が儚くも崩れ去った瞬間であった。

教訓。愛とは苦しみを乗り越えるだけのパワーである。私に足りなかったのは恋などではなかつたのだ。

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