はてなキーワード: 典型的とは
あー・・・嫁と同じ気配がしてきた。嫁も電車が超苦手で正義感が"異様"に強い。
そして恐らくだけど、歌詞を覚えたり記憶力が良いとか無いだろうか。
もともと、その気配があって、強いストレスで二次障害、つまり適応障害を引き起こして症状が悪化している気がする。
これだけ言っても説得力がないと思うので実体験として嫁の話をしてみよう。
嫁の場合、想像力が働かないので定められた「ルール」が絶対になっていた。
例えば、我々の場合、目の前で多少ルール違反をされても、まぁ後で自分側はリカバーできるな…とか
関わり合っても損のが多いなとか、仮に訴訟沙汰になったら1年くらい時間と金が飛ぶのはツライなぁって「想像」がつく。
けど、この想像力が欠如すると「ルール」が全てにおいて優先されるので柔軟性が無くなってしまう。
だって、この「ルール」が先に答えを出してくれてるから想像しなくて良いんだよね。交通違反だ!それが全てだ!
しかも想像力がないから、相手に対して躊躇がない。リスクを考えずに「辞めろ!」と言える(言えてしまう)
だから、嫁なんかは運転しているとものすごい量のクレームを言いながら走る事になる。
(流石に事故だけは回避しているが見るからに運転が粗くなるし、文句言わんといてと宥めているが)
ところがよ。想像力に乏しい為、2回駐禁を取られて免停になりかけたんだよね。
トイレ借りただけだもんとか、店が指定した所に止めたのに!みたいな。
別の"正義"があれば自分は他人に迷惑をかけても良いような言い回し、想像出来ない以上、リスクを気にかけない。
店から言われてるけど、流石にここはダメ・・・では?本当にあってるか?とか疑わないの。
なーんか、言ってる事は正しくて、やたら強い言葉を使う割には相手はそれが守れてない事が多々あるな…みたいな。
ただ、これは最近気付いたが恐らくASD特有の「こだわり」も混じってる。
やり方を否定されると烈火の如く怒るし、同じことを言ったら何度も言うな!って切れる。
でも、何度も言わないとこっちも危ないので都度喧嘩にもなる。
そして口論になって議論になっても何故か聞いて貰っている気がしない。それはなぜか?
本来、通常のコミュニケーションは議論を重ねる事によって問題の重みが加算されていくイメージだと思う。
色んな要素から、この問題は+10点、この問題は相手に問題がある-5点、これは自分が怠惰だ+20点みたいな。
こうやって問題に対してそれぞれ、重みがあるから着地点を見出して改善案が作れるイメージ。
しかしながら、ASDの場合、想像力が無いと怒られが発生してしまったという事実しか残らない。
つまり「1」だけが残る。加算ですらない。あくまでも「1」なんだよね。
これが他の方が言及されていた「議論を重ねても無意味」の正体だと思ってる。
無限に「1」が積み重なっても改善に繋がるアクションが想像力の乏しさから発生させる事が出来ない。
よって、誰かがその助け舟を出せないと延々とそこで足踏みをする事になる。
なので、もしメンタル側の問題であれば解決方法なんて病院に行くか、近場への転職か
もしくは諦めるのどれかしか無いと思うんだよね。
【追記】
これは「本当に大事な文化ならば消えない」ということを言っているのではなくて、「消えなかったものが本当に大事な文化」で「本当に大事な文化」という概念を定義しているだけの典型的な詭弁
特定のパートナーと一緒に暮らして二人で子供作って育ててるけど結婚は嫌だっていう奴が日本にどれだけいるんだよ。いねーよ。
婚外子を増やしたきゃ婚外子が多い国みたいに結婚が嫌になるくらい結婚離婚制度を面倒くさいものにすればいいけど
人と一番最初に出会った後の会話の時に、自分はおそらく典型的なコミュ障なんだろうなと感じる。
もちろん、相手に話してもらうのがベストなんだということは、理解しているので、大げさにそうなんですね!とか、なんでそんな風に考えたんですか?とか、大きく頷いたりとか小さく頷いたりとかちゃんと基礎の部分は抑える。
そこで、例えば漫画とかアニメとか見ますか?と問いかけしたときに、もし奇遇にも、全く同じものが人生においてベストの漫画ですとなったときに、そこからどうしたらいいか全く持ってわからなくなってしまう。
私も読んだことあります!どこの場面が好きですか?とか、そうそうあそこの場面が良いですよねとか、当たりさわーりのない会話をすることになる。めっちゃテンション高く、えー!奇遇ですね!ってなったとしてもものの3分程度で、その話題は終わり、何故か意気投合する前よりも会話のテンポが悪くなり、沈黙が増えがちになる。
思い当たる節は2つで
一つは、ここで書く以上に自分で相手の言葉を遮って自分語りしてしまってる可能性。
普通の会話トーンであれば聞きますよ?的なスタンスをとっていられるのだが、同志という興奮のあまり、相手の言いたい言葉を代弁してしまい、ハッとして、相手の言葉を待ってしまってよくわからぬ空気になってしまっているのかもしれない。
もう一つは、好みが一致したということに対して特別感というか重く考えすぎている可能性
童貞が、セックスをものすごく特別なものだと神聖化しているのと似ている。ただ、それさえあればその人との関係はもう問題ないと思ってしまって、一致したよね!!フンスッとその後の事をよく考えられなくなってしまっているのかもしれない。
自分が好きだと思ったものをテンプレートで話せるような準備をしたらいいのかなぁと思いつつ、人によってはお互いがお互いの好きなことを思う存分に語り合う的なことが出来ていることを思うと、自分に足りないものは何なのだろうかとふと考えてしまった。
男が男というだけで数々の特権を得ている事実(生理がない、妊娠の危険性がない、性犯罪に遭いにくい、生まれつき女性よりも体力に優れている)
この時点で
・生理、妊娠とかいう生物としての身体的特徴を持ち出し男性を批判する
・生理が軽い、妊娠しない(できない)反出生主義の事を意図的に無視している(身体的に言えばハンデは男性と比較してほぼ無い)
俺はエンジニアだけど君は違うじゃん
そりゃ勝負にならんよ
この手の「エンジニア」という肩書きに異常にプライド持ってる奴って元増田が言ってる典型的なタイプだよなあ。
エンジニアエンジニア言う割にパソコンカタカタしかできないしな。
俺も一応「エンジニア」だけど、こういうのと一緒にして欲しくないわほんとに。
俺は低身長低収入チー牛の典型的弱者男性だったけど、30歳の時に家庭の事情で地元にUターンした結果、結婚して子どもも授かったので、その経験から思ったことを書いてみる。
これはたぶん間違いない。30歳ですでに結婚は諦めてた。
休みも基本はひとり。
だけどひとりでも楽しい。
一日ふらふら遊んだあと、最寄駅近くの居酒屋で一杯やったら、もうずっとこれでも良いかなって気分になってた。
これがあと10年続いたらもうだめだったと思う。
でも田舎は何もかもが違った。
遊ぶところがない。
最近話題の美術館はもちろんないし、図書館ですら遠い。わざわざ出かけなきゃいけない上に行っても中身がしょぼい。
飲み屋もレベル低いし、車でしか行けない場所だからひとりだと飲めないし、値段が高い。
田舎はなぜか外で酒を飲むと高くつく。
とにかくヒマだ。
ヒマだと寂しくなるし人恋しくなる。
昔の人がやたらと恋愛にこだわったのは、たぶんネットやスマホがなかった頃は今よりヒマだったからなんだろう。
俺もヒマすぎてパートナー欲しくなった。
30歳が若者かどうかは意見が分かれるかもしれないが、田舎だと圧倒的に若者だし、圧倒的に数が少ない。
右を見ても左を見ても年寄りばかり。
出会いなんてなさそうに思うが、少ないと探したくなるのが人情というものなんだろう。
限られた同世代はなんか集まる。
ヒマだし。
田舎に帰るとすぐ同級生から声がかかり、そこからなんか同世代の知り合いが増えていった。
紹介してくれと頼まなくても独身だとわかると合いそうなタイプの人をなんか紹介してもらえた。
妻と出会ったのもそういう知り合いの集まり。忘年会かなんかだったはず。
都会には美男美女高学歴高収入高身長などなどたくさんの若者がいる。
レベルの低いやつはフィルターにかけられて出会いにも到達しない。
多少容姿が悪くても身長が低くても、門前払いされることはない。
そんな状況だから、都会みたいにパートナーのスペックでマウント取りあったりポケモンバトルしたりっていう文化は成立しない。
だから都会では相手にされないスペックでもパートナーが見つけられたんだと思う。
これは悪い面の方が多いんだけど、都会にはない圧がたしかに存在して、それに背中をぐいぐい押されたのは否定できない。
親や親戚、ご近所だけでなく、職場や同世代の友人たちに至るまで、結婚させようと圧をかけてくる。
妻と俺がちょっといい感じだとわかると、本当にいろんな方面から押された。
正直ウザいのも事実だが、俺みたいに煮え切らない人間にとっては背中を押されるのは良かったのかもしれないと思わなくもない。
実はこれが一番大きいかも。
東京にいた頃は常にカツカツだったのが、地元に帰ってきてからは結構貯金できるくらいに余裕ができた。
運良く地元の工場で正社員になれたとはいえ、それでもそんなに手取りは増えてない。
外食、特に外で酒飲むと高くつくけど、そもそも飲み屋が遠いので飲みに行く機会が減る。
そしてなんか野菜もらえる。
親切でくれてんのかなと思ったら、実は一度にたくさんとれて消費しきれないからくれてるらしい。
畑やってる家はどこも同じ時期に同じものが余るので、畑やってない奴は絶好の引き取り手なんだとか。
でもこれが地味に助かる。
あと、家賃。
実家出て同棲した2LDKの新築アパートは駐車場2台分付きで東京で住んでたワンルームの半分以下の家賃だった。
子どもが生まれたのを機に実家の土地に家を建てたんだけれど、2千万円で結構広い立派な家が建った。
都会だと土地すら買えん額だ。
とにかく、金の余裕は心の余裕。
都会に住んでた頃のカツカツな経済状況では結婚なんてとても考えられなかった。
非モテ弱者男性はもしかしたら田舎に引っ越したら結婚できるかも?
いや、地元とかじゃないところにいきなり行っても厳しいだろうし、仕事なかったら話にならんし、そんな簡単じゃないとは思うけど。
でも都会だと致命的になる要素が田舎だと意外と気にされなかったりする、ということだけは伝えておきたい。
ここ数日、増田界隈ではぬいぐるみペニス現象(ただの友人だと思っていた友達が突然恋愛感情(もっというと性欲)を見せてくると、女はドン引きする)について分かる・分からんの話が盛り上がっているが、今日Xで流れてきたある男性の「オペラ座の怪人」の解釈が、扱うものや主張の方向性は違えど、同じような議論の呼水になっていた。
事前情報としてお伝えすると、オペラ座の怪人といえば劇団四季でもお馴染みの、フランスの伝奇小説を叩き台にした、メロドラマミュージカルだ。オペラ座のコーラスガールのクリスティーヌが、謎の存在「オペラ座の怪人」に見出されてプリマドンナになるとともに、突然現れた幼馴染のイケメン貴族とあっという間に恋に落ちたため、怪人が嫉妬に狂って人を殺したりシャンデリアを落としてオペラ座を破壊したりする話である。
物語のラストで、怪人はクリスティーヌに「俺と結婚しないとお前の恋人を殺すぞ!」と脅迫するのだが、そこでクリスティーヌは怪人にキスをする。怪人は泣き崩れて、クリスティーヌを恋人ごと逃してやる。この切なすぎるラストは、いろんな解釈を産み、きちんと出版された二次創作や、さらには二次創作ベースの別のミュージカルなどもある。
今日Xに流れていたのは、デジタルデザイン分野でご活躍されている男性のツイートで「劇団四季のオペラ座の怪人を見に行ったが、ラストのキスシーンを2人が愛し合っている証だと理解できないほどに日本人の読解力は弱くなっている(要約)」というものだった。重ねて、「原語(英語)のままで鑑賞できない、日本人の英語力の問題だよなあ」という発言もあった。ただ、私もオペラ座の怪人は日本語版でも英語版でも複数回鑑賞し、英文のスクリプトも精読したこともあるので言いたいが、英語で読むと余計にそんな単純な話じゃないと思う。
ある一つの解釈としていえば、オペラ座の怪人は典型的なぬいペニショックの話でもある。うっかり幼馴染のイケメンといちゃついているのを見られて、怪人の怒りを買ったクリスティーヌは殺されかける上、その後拉致監禁され、無理矢理に怪人と結婚させられそうになる。クリスティーヌは強いショックを受け、そのうちに怪人を憎み出す。クリスティーヌにとって怪人は、死んだ父の代わりであり、腕のいい教師であり、何かと融通を聞かせてくれる守護天使なのだ。そんな相手が自分と結婚しろ、彼氏とは別れろなど、彼女からすれば青天の霹靂、ぬいぐるみ(無害な存在、なんなら都合のいい存在)が性欲モロ出しで迫ってきたも同然である。そのため、作中ではクリスティーヌが「ずっと私を騙してたのか!」と怪人にブチギレるシーンがある。観客からすれば、怪人がはじめからクリスティーヌを性的に見ていることは見て取れるが、怪人は「私は君の父親、守護天使」とあくまで下心がないとクリスティーヌには振る舞うため、クリスティーヌからすれば怪人は性的なことから遠いぬいぐるみである。
オペラ座の怪人はぬいペニ現場の分かりやすい例だと思っていたのだが、人によってはこの2人に男女の愛があると解釈し、あまつさえ「この解釈ができないのは日本人の読解力が下がっているから」と決めつけているので、こりゃあぬいペニ現象も分かる人・分からない人に別れるよなあと思った。
怪人とクリスティーヌは、怪人の思いが隠れているうちは信頼関係があった。なんなら2人に肉体的な接触はなかった。しかし、クリスティーヌの彼氏の登場により、怪人は粗暴な手段でクリスティーヌに言い寄り、結果ドン引きされている。ぬいぐるみにペニスがあるわけない、という思い込みが外れたショックに加えて、怪人がペニスを押し付けてくる(比喩)速さ・手段の荒々しさに、クリスティーヌは引いている。これで「ぬいぐるみだと思う方が悪い」「ペニスがないと思い込む方が悪い」というのは、さすがにクリスティーヌが可哀想ではないか。
それでも、これが怪人とクリスティーヌの激しい恋の物語で、ラストは愛し合いながらも引き裂かれる2人だ、それが正しい解釈だという風に言われるならば、ぬいペニ現象について理解が進むのって難しそう〜とげっそりしてしまった