はてなキーワード: 世代交代とは
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どうせ失敗するし中身もダメだと思ったんだろうね
その鋭い考察力、これからも生かしてブックマーカーを続けてください
楽しみにしています!
だからみんな期待するなって。オオゴケするから。人気あるコンテンツは壊すのが日本の慣わし。製作委員会が一発屋で儲けてお終い。そんな奴らを世代交代させるべきなんだよ。
監督がハイローの人だし、ちゃんとした映画を作るつもりは端からないと思われ。
ターゲットが山崎賢人が好きな層だからなぁ。キャスティングを含め、リアルである必要はないんだろうな。not for meや。
こんな低レベルな画作りばかりしてるから邦画は世界で売れないんだろうね。
今の日本映画は、服どころか脚本から始まって映画制作の全てが小児病なのよ。カワイイ!イケメン!の所から人選が始まり、生活感がみじんも感じられないマンガの登場人物ばかり(笑)。ないものはない、期待するな。
既存政党による政治腐敗、数が多いだけの老人のためのシルバーデモクラシーに辟易としてきたので、新党を結党します。その名も若者党です。
若者党は、主に40代までの働き盛りの支持を得るために「若者のための政治」をスローガンに掲げ活動していきます。
マニフェストは以下の通りです。
老人は多すぎます。今の日本にはこの老人を支えていくような財源も人手もありません。そのため、75才を超えた後期高齢者に安楽死という選択肢を開放します。これにより、社会保険料の上昇を抑えます。
なぜ後期高齢者にもなって犯罪を犯すのか。万引き、窃盗、交通事故。生きている価値がありません。刑務所で余生をすごしてもらいます。
・政治家の75才定年導入
なぜ民間企業には定年があるのでしょうか。それは歳を重ねることで能力が下がるからではないでしょうか。それなのに、政治家は組織票や党利党略により年齢関わらず当選してしまいます。後期高齢者が政治家になっても、能力低下、会議で居眠り、何の役にもたちません。そのため、75才定年制を導入します。あらかじめ定年が設定されていれば、世代交代もしやすいのではないでしょうか。
子は国の宝です。死にゆく老人に金を持たせても何にもなりません。子供出産につき1,000万円のお祝い金を支払います。もちろん、オムツ代、子ども手当も拡充させます。ベビーシッターも頼みやすくします。
まだまだ、子どもファースト、若者ファーストの施策を考えていきたいと思います。ぜひご意見ご要望あればコメント下さい。よろしくお願いします。
https://mond.how/ja/topics/8ppjwtgys23ut68/ywfh3pbdu405jwh
佐々木さんはここ数年、左派のメディアや言論人に対して、時には名指しで厳しい言葉を投げかけておられる印象で、
私も佐々木さんの意見に共感することが多いですが、一方で右派(特に日本保守党のような極右)の方々の発言や行動に対しては沈黙されている印象があります。
ただ佐々木さんの発言を聞いている限り、右派の意見に賛同されている訳ではないと思うのですが、実際はどう思われているのでしょうか。
右派左派に限らず、中道で穏健な意見には耳を傾けるべきだというのが私の姿勢です。そして議論の余地のない極端な意見には、きちんと批判していくべきだとも。
私は基本的にはリベラリズムの立場であり、同時にリベラリズムの限界を乗り越えるためにコミュニタリアニズム(共同体主義)も考えていかなければならないとも考えています。
保守主義者ではありません。なので保守・右派とは思想をまったく異にしていますが、議論の余地があるのなら議論したいとつねに思っています。
呼ばれれば誰とでも対話するようにしているのは、そのためです。
さて、おっしゃるように左派に対しては私がより厳しい姿勢となっているのはその通りです。その理由は、日本のマスコミ空間では極端な左派に寄った意見が非常に多く見受けられるため。
言い換えれば、20世紀終わりから21世紀にかけての日本のマスコミはあまりにも左に寄りすぎているという危惧があります。
その日本の状況は、欧州や米国とはまったく異なるところです。欧州ではアフリカや中東からの移民・難民の問題をきっかけに右派が台頭し、大きな政治勢力になってきているのはご存じの通りです。
また米国ではトランプがまたも今年の大統領選をうかがう状況になってきています。それに対して日本では、右派はたいした影響力を持っていません。
こういうことを言うと「日本会議が」「統一教会が」などと言う人もいますが、実態としてそれらの団体は自民政権に対してもそれほどの影響力を持っていません。
逆に近年の自民党は、LGBT理解増進法が右派から激しく攻撃されたのを見てもわかるとおり、世代交代もあってかなりリベラリズムに寄ってきているのが現状ではないでしょうか。
いっぽうでマスコミ業界では、たとえば報道による福島への風評加害が放置され何の問題にもされなかったり、安倍元首相暗殺犯を称賛する著名人になんら批判の矢が向かわなかったり、
どう考えても左にあまりにも偏りすぎている状況が放置されています。この状況を改善し、マスコミ業界が正常化されない限り、日本社会にはよき公共圏が育っていかないという危機感が私にはあります。
東浩紀氏も「Jリベラル」なる言葉を作ってリベラル左翼を馬鹿にしていたが、佐々木氏や東氏のように、右も左も駄目だと言いながら左翼叩きばかり繰り返す人々を
くくる言葉も必要ではないだろうか。ちなみにこの手の人々は国民民主党に投票している印象があり、知識人としては無責任に感じる。
世襲を防ぐための側面が強いんだよ。
若いうちから選挙に出れる状態の人、つまり3バンがいきなり備わっているのは世襲だけ。
天才若手社長として結果を出している人でも、選挙権を持つ中心年齢層から支持を得れるかというと難しい。
中高年は現状維持バイアスが強いので世襲に投票したがる傾向が強いので、若年対決で世襲と戦ったらまず勝てない。
逆に世襲の場合は親からの引き継ぎや世代交代アピールをすることによって中高年の現状維持バイアスを引き出し、若い内から当選を狙っていけるようになる。
若くして当選してしまえばそのあとは本人そのものが現状維持バイアスをくすぐれるようになるのでドンドン在籍年数を稼げる。
そして在籍年数を稼ぐほどに現状維持バイアスの強い中高年から支持されやすくなっていく。
世襲じゃない人間がある程度のカードを揃えてから戦う頃には、同じ年齢の世襲はとっくに十年二十年と居座ってきた安定感のあるベテランという扱いになってしまう。
これを少しでも軽減するためには、被選挙権のスタートを遅らせるのが一番の特効薬になる。
世襲の相続式スタートダッシュを防止して、非世襲の議員が準備をし終わるまでの間縛り付けておく事ができるからだ。
被選挙権の年齢制限がそももそも間違っているから取っ払えという意見は、一見平等な社会を推し進めるように見えて、実際にはより格差の強い社会を作り上げることになる。
JPOP(平成)
この表現手法と、消費者の想像力で、作れるコンテンツ量(総価値)には限界がある
だから食いつぶせばすぐに枯渇する
消費者は目が肥える
ちなみにこの食いつぶしが置きないジャンルは少ない、食とか性とか
創作系は食いつぶしがありえる
これが組み合わさると一気に量産されてひと時代は盛り上がるんだけど一気に冷めていく
コンテンツが更に次の進化を迎えるためには、世代交代が起きなきゃいけないと思う
つまり「そのコンテンツで育った子供がまた造り手になる」くらいに長いレンジのブームが必要なんだと思う
そうしてようやく世界的になれる
これらの良いところは1人でも作れるが、専門性が高くコストも高いところだ
近代国家よりは当然後世の研究者が国家と認めるうえでの要件が緩いはずなんだが。
・すくなからず大和朝廷や武家政権から対外的に独立してる時期はあった。
・一定の土地に一定の民族意識を持った人々が世代交代を繰り返していた(ある意味で領土人民が存在してる)
琉球王国は我々は琉球王国だと名乗ってる文献でもあったんだろうけど、別に現代のイスラミックステートがそうであるように名乗ってることは国家の要件じゃないからねえ。
自称がないのならば教科書等でどうアイヌ人の国家を指し示すかというのは議論の余地があるが、国家があったかどうかはまた別の問題なんよね。
指導者がいないから国家じゃないってところだろうか?でも直接民主主義ならそういうの不要だしなあ。
各々が家族規模で狩り等やっててその隣接する集団間で多少なりとも民族意識的な紐帯が存在してたなら国家ジャネーノと思う。
それならその紐帯を介して最小単位を親族関係等として可変的に集団の規模を変えることがありえる。地理的に隣接する集団、その集団にさらに隣接する集団と一時的な編成が繰り返されれば、一時的だとしても最大でアイヌの民族意識を持った人間全員の集団が成立しうる。イオマンテとかもそれなりに大規模な地縁で行われたんじゃないのか。災害等もっと重大な事態に際してはアイヌ人全体が連帯しえたのではないか。それは国家ではないのか。
dorawiiより
たぶん、ヒトは「子育てに興味がある」を大部分、昔ながらの村落の環境に頼ってきた。
跡継ぎが必要だとか、労働力が必要だとか、農閑期は暇だから中出しセックスしまくるだとか
それが無くなった時に、今まで「子育てに興味がある」を維持できた遺伝子が、それを維持できなくなった。
それが今だ。
なにしろ都市化と経済成長によって、少子化が本格的に顕在化したのは戦後以降、まだ100年も建っていない。
世代交代が起きていない。淘汰がされていない。
この現代社会で、子育てに興味がない奴は遺伝子が残せない訳なんだから、後の世代ではそうじゃない奴が残っていくんだろうと思う。狩られて死ぬか死なないかではなく、産まれるか産まれないかの話なので、淘汰のペースは結構早いだろう。数世代ぐらいか?
・良良良ー良・良良良だった
なんかもういろんな意味で良ッ
観るという判断をして良かった
・途中まで「水↓木↑さん、バチクソに令和の受けど真ん中だし自らエロ同人の導入みてえなシチュに入ってく…」という思考が半分占めててふーん、昭和倫理観+田舎御家騒動、やね…+チラつく墓場鬼太郎の「じゃ!」 で見てたけど途中なんかこのシーンだけ絵のレベルが段違いじゃない?なテラス戦闘シーンから「この映画、意外と社会派チックな事いいおる…そういうの、好き…」ってなって引き込まれていった
・導入の記者の人が見た廃村になった描写と当時の生活があった頃の様子の対比でイイネ!ってなった
・おっねずみ男とかコウモリ猫の系譜や!と思ったら本人だった 記憶よりふた回りほど小さくなっとる…? 基本コメディリリーフだけど「俺は手を引くぜ」の闇に消えるシーンとか人ならざる者感して好き
・水木さんのバチクソ受けっぽさは狙って作られたというわけでなく偶発的なものという感じがvery very goodすぎる
・鬼太郎父、水木さんにデレるの早ない?と思ったけど恐らく行間があるやつ
つまり近親姦で世代紡いできてた一族ってこと?それハプスブルグ家みたいにならない?だからショタは病弱だったんか!今合点した
・夫婦再会シーンで引きで映る地面に転がってる瀕死状態の水木さんすき
・たまにある鬼太郎ピンチ回に出てきそうな妖怪がゴロゴロでてくる 鬼太郎父つよい
・後半の主張の感じは説教のかほりがするなあと思わなかったと言ったら嘘になるが元の鬼太郎は児童向けアニメやしズートピアのラストみたいな「言葉にして作品の言いたいことを固める」あった方が観るがわの心構えの方向性が示されてええかと思ってみてた
平日の朝イチ回だから
己みたいな層しかいないと思ってたら意外とおじさん客・男性客いて驚いた
・思い返すと「世代交代」とか「全体主義と個人のいのちだいじに」とか「ご先祖様の血脈→あっこれ鬼太郎くんのやつや!タイトルや!」とか複数テーマが滅茶苦茶匠なバランスで的確に描写されとった…もう電車でタバコガンガン喫煙してたり吸殻ポイ捨てしたり細かい描写の積み重ねが「時代の倫理観」「今から見ると引くけど当時はみんなやってたから普通だった」を確実に伝えてテーマと絡めて「伝えて」きおる…スタッフさん天才か?
・全体主義に見せかけた「おまえら特攻してこい」→「隊長は?」で首の「死んだら、アカ~ン!」本人の見えないとこで舌ペロを思い出した
・エンディングロールからも最後の最後まで良すぎじゃん…水木神原作の「鬼太郎を育てることになる」単話だけ予習してたから(いろんな意味で)これ最後どうやってあの流れに着地するんや…と思って見てたらアッ白髪……そういうの好き……アッ…エンディングが漫画なのだあいすき…アッ…虚しく宙をかく鬼太郎父の腕…でも魂に刻まれてる…そういうの好き好き侍…アッ…最高…で終わってた
いつどこで見たかはすっかり忘れてしまったが、リベラルな言論で著名な方が、以下のようなことを言っていた。
「氷河期世代は不況のせいにして就職できず流されてきて、今になって苦しいという。何故20代の時にお国と闘わなかったんだ。今更苦しいと言っても自業自得」
仰っていることは尤もなのだが、しかし当時は連帯しようとかデモをしよう、国に掛け合おうなどという考えはないに等しかった。何故だろう? と氷河期世代たる増田は考えて、すぐに結論が出た。
左翼の皆さん、我々の世代に嫌われてたんだよ。左翼にも色々あると言われそうだけど、あの頃の左翼的な思想を持った連中なんて、どれもこれも十把一絡げで嫌われていた。
昭和50年代生まれの我々は義務教育期間中、一度や二度はいわゆる日教組のアカ教師と遭遇し、嫌な思いをさせられている。かつて学生闘士と呼ばれていたような、親より少し年上の定年間近の老教師が、特に地方の、子供も少なく1クラス30人にも満たないような増田の学校にも必ず1人はいて、何かと教育現場を引っ掻き回していた。最近あまり聞かれなくなった式典での国旗掲揚不起立や教科書の君が代ページを貼り合わせる問題が、周囲を田んぼと山に囲まれたど田舎の我が母校でも起きた。
増田の担任にはならなかったが、当該クラスにPTA会長の子供もいたことで、その後大人たちの間では大変な騒動にもなっていた。
教師の体罰がまだ当たり前だった時代、アカ教師は手こそ上げないものの、従順な女子児童への露骨な依怙贔屓や反抗的な男子児童への横暴な発言は、学年を超えて伝わってきて嫌われていた。
その頃はインターネットがなく、テレビと新聞が主な情報源だった。番組改編時にはよく衝撃映像や昭和の記録映像として東大講堂での騒乱やよど号ハイジャック事件、あさま山荘に鉄球をぶつけるシーンがよく流れていた。その度に「かつての日本は荒れていたのだな」「その原因を作ったのはあのアカ教師の仲間なんだな」と、幼心に刷り込まれていたのかもしれない。
あの頃は、一部のメディアにも左翼の活動を忌避する空気が作られていたのかもしれない。いわゆる自虐史観が幅を利かせていた教育業界に新しい教科書を作る会が出てくる一方で、司馬遼太郎によるドラマティックな司馬史観がこれでもかともてはやされている時代でもあった。
高校、大学(増田が通ったのは地方の駅弁ですらない田舎にあった)と進学するにつれ、ますます左翼的な勢力は目につかなくなっていった。教師や教授陣にそれっぽい思想を持っている人がいなかったわけではないが、押しつけることはなく、オルグされる同世代も見かけなかった。他の大学の学園祭に行った時、明らかに学生らしくない数人のおっさんが垂れ幕の前で9条がー、と威張り散らしているのを見かけたくらいだ。
ちなみに阪神・淡路大震災も増田の学生時代に起きた。燃え落ちた街、横倒しになった高速道路の映像はあまりにも衝撃的だった。現代でこんなことが起きてしまうのかと呆然としたのを覚えている。救援活動に来た自衛隊を批判する勢力は、露骨に白い目で見られていた。
オウム真理教が問題を起こしたのも同じ年だ。あの頃のマスコミの狂乱は、今の統一教会報道の比では無かった。テレビには毎日のように信者が登場してめちゃくちゃな言動を繰り広げ、一般紙からスポーツ新聞までが彼らについてあらゆることを書き立てた。氷河期世代が過激な新興宗教に拒絶的な態度をとりやすいのも、オウムや、その他宗教団体が原因である。
オウムだけではなく、当時はあらゆる新興宗教団体がしつこい勧誘で嫌われていた時代だったのだ。少し大きな駅に行くと、手相の勉強をしていると称する者は壺や印鑑を売ろうとしてくるし、あなたの幸せを祈らせろとつきまとってくる者もいるし、選挙があれば○○党に投票しろ、新聞をとれとうるさい。個人情報がダダ漏れの時代ということもあり、これらの勧誘を掻い潜るのは至難の業だった。
増田も宗教2世である元同級生からの勧誘に辟易とし、家族の闘病について信仰心が足りないからだと言われた時には速やかに絶縁を申し出た。元同級生が悲しそうな顔をしていたのを、今でも覚えている。かつてはスニーカー文庫を貸しあった仲だったのに残念だった。
働きだしてから、といっても増田は就職できずフリーターになったのだが、ようやく田舎にもインターネットというものが普及してきた。2ちゃんねるが登場したが、そこでも左翼は馬鹿にされる対象でしかなかった。制服を強要されているのが虐待だと国際的な場で主張した政治家の息子が笑われたりしていたのもその頃だ。
だからその後、若者を中心としたSEALDsが出てきた時はびっくりした。いつのまにか、増田の親世代ですら触れたがらないアカの思想にばっちり染まった彼らは、SNSでつながることに抵抗を持たない世代としての強みを活かし、あっというまに増えていった。いつのまにそんな思想が、もう絶滅したと思っていたアカが若者の口を借りて復活するとは予想外だった。
30歳を超えた増田には、SEALDsの輝きが眩しくうつったが、羨ましくはなかった。主張があまりにも幼く感じたからだ。かつてアカ教師に仕込まれた児童が湾岸戦争時の自衛隊派遣に絡めて「戦争には反対です。憲法9条に反するから、自衛隊はやめた方がいいと思います」と言わされていたのを思い出させた。このときは自衛官を親族に持つ子供が他の学年にいて、家族が学校にクレームを入れて大問題になった。
増田はネットの匿名文化にも浸っていたため、「学生のうちにこんなに顔を晒して発言していたらこの先大変だろうな」と思ったりしたものだ。
結局SEALDsは解散したが、その後、リベラルと言われる勢力は以前よりも目につくようになってきた。だがやはり、氷河期世代の姿は少ない。
そんな中で発せられたのが「氷河期世代は何故闘わなかったのか」である。
正直に言おう。
我々の世代に、国と闘う余裕はなかった。そんな暇があれば働くことを選んだだろう。
そして、あの横暴で陰険な、アカ教師のような人になりたくなかったのだ。
その結果、「闘わなかった」と怒られる。
今の視点で見れば、何とでも言えるよな。あの頃のリベラルなど、今よりずっと情けなかったのに。
ここからは余談。
数年前、増田が住む街の施設で日教組の全国大会があり、警察が規制線を張っていた。警察が守っているのは、会場へ向かう年老いてしょぼくれた、とっくに定年退職を迎えて何年も経た老人の群れである。みんな「日教組○○県支部」と書いた幟をもって、俯きがちにトボトボと歩いている。総じて服の色は地味で、男女問わず髪の毛もボサボサで、見た目にも元気がない。
その規制線の外、ギリギリの場所に愛国的なことを叫ぶ街宣車が止まっていた。車の上から老人たちに向かって元気に「国賊」などとがなりたてている中年男性は、増田と同世代か少し上くらいに見えた。
どこにも若者がいない。交通規制を促している警察官が一番若いくらいだ。
かつてはヘルメットをかぶりゲバ棒を手に機動隊に向かっていたかもしれない人々が、中年にどやしつけられ(ほぼ因縁だが)、国家権力に守られながらトボトボと歩いている。
どんな気持ちで歩いているのだろう。会場には共産党を代表する大物政治家が来場するとポスターにあった。世代交代を頑なに拒み、トップに君臨し続けているその政治家を見て、彼らの心は慰められるのだろうか。
だが天下をとれなかった彼らも、闘わなかったと言われる氷河期世代も、下の世代からは同じに見えているのかもしれない。これを書いている増田に、左翼も日教組も共産主義も新左翼も革マルも中核派も赤軍派もリベラルも、まるで区別がつかないように。
仕方ない、そういうものだ。
これを読んでるみんなは、俺たちのようになるなよ。
セキュリティエンジニアとしてイスラエルのスタートアップに勤務していた人間として一つ言わせてもらうと、イスラエルの国民(特に若者)には政府のガザへのやり方に対して怒りや非難の態度を持っている人がかなり多い。
また超正統派はそもそもイスラエル自体の存在を認めていない(当然イスラエルの国土はパレスチナ人のものと考えている)上に、政治的な影響力を持っているため政府は苦慮している。
その上でガザやパレスチナ人への強硬な態度を崩さない世俗主義右派は世代交代に伴い絶滅危惧種となっている。
若者への世代交代と超正統派の人口増に伴い、現在のイスラエルとパレスチナの在り方が変わることを恐れる政府のトップを担う層が余計に強硬になっているのはこのためである。世俗主義かつ右派の層は自らの目の黒いうちにガザ地区なんて消滅させて全てのパレスチナ人を近隣イスラム諸国やヨーロッパに移民として追い出してしまおうと考えているのだろう。