はてなキーワード: HNとは
なんかツマンネー絡まれ方したから超誠実に論理的に反論し返して、それでもまだ影でコソコソ…じゃねーかインターネット上だし、なんだかこっちが知らない人前で被害妄想チックな誹謗中傷たれてるからイラッと来て、まともな議論のしきたりを身につける方向性を持とうとは思わないのかとかツッコんだらガン無視かと思いきや(ハテナ内に限った話だけど)あんな目立つとこでまた知らない間にグジュグジュわめきちらしてたからカッと来て、試しに聞いてみたら予想道理の反応。
いいんだよ好きな人生を好きなように歩んでるんなら。そういうヤツはヒネてないしスネてないし建設的で対等に話してくれる、こっちから10譲歩したら5くらい譲ってくれることもある。大学受験とやらがアンタにどんだけのコンプレックスを与えたか知らんが、何かと劣等感を掲げて免罪符にして礼儀も知らず自分の意見の細部にまで拘泥して異なるものに全てネガティブな印象を抱いてどうする?好きな大学に入れなかった苦痛のぶんこれからの人生は自分の代わりに他人が苦痛を感じて私にいろいろ還元してくださいとかそんな話でもしたいのだろーか。
結局、何かを主張したいなら自分がブランド化しなきゃならないって話なのかなー。web2.0とかもう死語っぽいけどあんなブームにせよ、うまく波に乗って成功してる側の連中ってブランドをうまく作れたひとらなんだよなー。まだまだ修練とか実績とか工夫が足りないなぁ、うーん、精進していかなきゃなー。
おっと今回は怒りに任せて書こうと思ってたんだった、自省はあとで一人でやろう。
やいそこのバカ!もし読んでたらひとつお願いしたい!とりあえず知らないトコで事実歪曲しまくったわるくちはやめやがってください。直接議論したらアタマの出来と論理性の差(と第三者からの知名度や信頼性の差)で負けるから嫌だってんなら、諦めるか精進するかどっちかにしやがってください。いまのキミの能力では不可能なことはたくさんあるんです、とくにコミュニケーションにかかわる問題に関しては絶望的なほど大量に。単純に幼児的に納得いかないからコッチの名声を貶めるために攻撃し続けますってんなら、まぁこっちが諦めます、10弱運用してるうち中堅クラスのHNのひとつくらい捨てても、まぁ痛いけど、そんなにダメージは深刻じゃないんです。オメーさんとは工夫と手間のかけかたの量が違うんだよ!おとといきやがれ!でも希望としてはフェードアウトしてくれるとうれしいなぁ、ごめん風呂入ってくるわ
見えてきたような気がする!(こっちの問題意識の話だけど)
匿名性のある掲示板とかで話し合うのは、他者に対峙する自己を大勢の他者に埋め込むことができるから、コミュニケーション力が育たないんだね!?
非コミュが匿名(2chや増田)で発言できるのは当たり前ってことか。結局、他者と自己を対話の場に位置づけられないコミュニケーション力が問題だというわけだ。
インターネット自体も問題だね。自由に取れるアカウント、自由に変更できる名前(HN)という、分化した希薄な(責任のない)自己を所有するだけで、現実に対して害にしかならないものね。
横槍だけど、無理かと。
まずHTMLの意味的役割を無視したサイトが多すぎる。hn要素系が無いだとか、親要素がdivだけで意味づけが不明だとかはよくあることで、非道いのだとtitleが無いだとか、altの無いimg要素だとか、そんなサイトが溢れ返ってる。
更に、ある程度strictな構文であっても思想的な違いがあるから、文書構造が想定不可能で、CSSだけだと意図した見栄えにならない可能性が非常に高いかと。
所詮、HTML+CSSでの可能範囲なんて、ユーザCSSでちょっと文字サイズとか変えたり、pdfリンクの場合に注意文入れたりするくらいで、あとは制作者側が用意したCSSに任せきりにするか、やるにしても思いっきり殺伐としたスタイルを適用するくらいが限界なんじゃないのかな。
もちろん、元記事で書かれてるのはRSSっていうよりXMLの利点だし、XHTML+XSLTまで含めればかなり柔軟性は増すんだろうけど、xhtml+xmlで提供してくれてるところなんてあまり無いし。
平凡な高校生・通りすがり君(仮名)の日課は、はてブの注目エントリをチェックすることである。
ある日、いつものように注目エントリを見ていた彼は、とある興味深いエントリに辿り着いた。
説得力はあるものの、どこか引っかかる文章である。
彼はコメントを書き残すことにした。
さらさらと感想を書いてさて投稿というとき、名前欄に何も入力していないことに彼は気付いた。
さて、どうしよう。
しかし、今後も偶然にしか訪れないであろうこのブログのためだけに、はたして気合の入ったHNを新しく考える必要があるだろうか。
迷う時間ももったいないので、通りすがり君は真っ先に思いついたHNを使うことにした。
すなわち「通りすがり」である。
こういった経緯を考えれば、「通りすがり」というHNなんて、「山田太郎」か「鈴木一郎」のようなものにしか思わないけど。
なにを目くじら立てることがあるだろう。