はてなキーワード: 逆切れとは
先に行った人たちはあぁだこうだいうだろうが,現在進行形で悩みを抱えそれについて考えている人にくだらないとかつまらないとかそれはまちがってるとかまじになっちゃってなんなのとかきもいとか理論的でないとか言ってることがころころ変わるとかそういうことを言ってもしょうがあるまい。
悩むことすら奪い去ろうとする人たち。それは救いの手を差し伸べているのではない。救いの振りをして深い絶望の中へ突き落とそうとする行為に他ならないのだ。もし自分が理性的で合理的できちんとした理論を持って言を成していると思うのであれば,見守ることをなぜしないのか。わざわざちょっかいを出し憤らせ,あるいは呆れさせるのか。わざわざ口を出し,勝手に放言し,それにかえってくる反発を逆切れだと罵るのか。
相手はあなたではなく,あなたは相手ではない。歩いている道は違う,似ている部分もあるだろう,参考になる部分もあるだろう。しかし違うということが本質的に変わるわけではない。先に知っているというだけで,少し経験値が高いというだけで,相手に介入し根本的な違いを認めず同質化しようとするのはなぜか。相手を一刀両断するのはなぜか。あらゆる差異を認めず,間違っていると糾弾するのはなぜか。その程度のプライドなら捨ててしまえ。
おれも難読っぽい名前でシーズンごとに困ったな
まあ大した問題じゃないけど
一度だけ、先生に読めるようにひらがなで書いとけって逆切れされて困った
ホント、そのうち学校の名簿で名前はひらがなで記載とかになるかもね
結局前職と同じことを派遣でやってる。
で、待遇も立場も前より悪くなって早くやめたい、でも生活のためにやめられないって愚痴る。
職場で派遣が故に受けている不当な扱いに対する不満を俺にぶつける。
俺はじっくりと
目標に達するためにすべきことをやるしかないんじゃないか?
そのために今は食ってくために派遣やってるんだろ?
今の立場は誰のせいでもない、自分の判断と責任で就いてるはずだろ?
前向きに考えようよ、今の境遇は目標に向かうまでの過程でしかないじゃん。
ってなことを伝えようとする。
うん、逆切れされるんだよね。
確かに彼女は夢に向かって怠けてるわけではないけど、足りないものがある。
自分んがどんなに頑張っても、相対的に他人のほうが優れていればその努力は評価されることは難しい。
このことを理解できないみたいだ。
20代後半にもなって『夢はあきらめずに追いかければかなうはず』って。いや、あながち間違いではないのだけど。
もう2年半付き合ってて彼女のことが大切だから建設的な意見として、愚痴に対して正論で対応する。
その対応は間違ってるの?
バイト先の子と話をしていた。歳は2・3しか違わないが、まだ未成年。喫煙所にいた私のところにとことこやってきてこんなことを言う。
相手「この前オーナーにですね、怒られたんですよ」私「へえ。なんて?」相手「煙草吸うなって」私「………え?」相手「君は未成年だから容認するわけにいかない。少なくともバイト先には持ってこないでくれ、って言うんです。でも今更だと思いませんか?ボク、そんなの生きてきて今まで言われたことない。別に吸ってもいいですよねー、面倒くさい」
…開いた口が塞がらなかった。いや本当に。その次には、オーナーに一理あるよそれは、って苦笑いした私に、えっなんでですか!?ときたもんさ。大人に隠れて酒飲んだり煙草吸ったりして悪ぶったりするのも
青春の1ページって感じで私的には悪くないと思う。でも隠れてやることに意味があるんじゃないのっ?!って思ってしまった。隠れてたら見逃すとかできるけど、隠さなかったら大人として注意せざるを得ないじゃないか!2・3個しか違うのに随分考えが違っちゃうんだなー…
ていうかコイツ頭悪いと真剣に思ってしまった。
はっきりわかりませんが、音はピッチにより、伝わり方が違うそうです。低音はより外に漏れやすいそうです。また、アパートなどの建物は、鉄筋の骨組みが通っていますので、それを伝わって、一階の音が上階に届きやすいということです。この分野を専門にしている先生方もいらっしゃいますので、一度お調べください。キーワードは「サウンド」もしくは、「サウンドスケープ」かな?きっと、音を出している方はお気づきになってないかも知れませんね。音の発生源の下に絨毯を敷くことや、厚いカーテンを使用することなどで、音の漏れを防げるかもしれませんが、なかなかお伝えしにくいですよねえ^^。逆切れ怖いし!!
http://zapanet.info/blog/item/1090
人と会う時は、その人の良いところを10個イメージしてから会いなさい
話を終えて、先生は続けました。
「では、実際にやってみましょう。誰から始めましょうか」
早速手が上がりました。クラスで一番の人気者のA君です。
「それでは、Z君のいいところを。毎日僕らにお金をもってきてくれること」
これをきっかけに、A君の友達がつぎつぎにZ君のいいところをあげていきます。
「たたき返さないこと」
「逆切れしないこと」
「それを先生に言わないこと」
「それを親に言わないこと」
「それでも学校に来ること」
「シカトしてもニコニコしていること」
「やったのは僕たちでも、捕まるのはZ君なこと」
「誰がやったのかを店に言わないこと」
「Z君に何をしても、先生がぼくらに何もしないこと」
それを聞いていた先生が、我が意を得たりばかりにうなずいて言いました。
「Z君のいいところが、これで10個あることがわかりました」
それを聞いて、Z君がおそるおそる発言を求めました。
先生はそれを無視して授業を始めようとしました。
そのとたん、Z君はどこから手に入れたのか、おもむろに拳銃を取り出して、A君をはじめとしてZ君のいいところをあげてくれた級友の頭を射抜きました。むせかえるような血と硝煙のにおいが漂う中、拳銃を先生に向けたまま、Z君はもう一度発言を求めました。
「Z、Z君、なんでしょうか?」
「ぼく、馬鹿だからみんなの良いところは一つしか思いつかない。それも一人一人違うんじゃなくて、みんなおんなじ。それでも、一つあるから言った方がいいよね」
「そ、それはなんですか?」
Z君は先生の頭を打ち抜いた後、こう続けました。
「もう死んでること」
しあわせ話・・・そうですね。
結婚してから食事の支度をするんですけどいつも”いただきます”とか”おごちそうさま”をいうことがなくて
最初は、まぁいいっか っていう気持ちでいたのが だんだん時間の経過とともに積もり積もって感謝がないじゃないか!って苛立つようになってしまって
親・学校でそう躾けられて育ってきました。育ってきた環境が違うとはいえ 人として身につけておくべきこと。
「食事を作ったからといって恩着せがましくいうつもりはないんだけど、気持ちはなくていいから”いただきます”とか”おごちそうさま”っていうようにしようよ」と持ちかけてみたのです。
「そんなさぁ、毎回毎回言うのしんどいよ!会社できつい目にあってるんだからさぁ。その辺お前理解しろよ!」主人は逆切れでした。
怒りが収まらず延々と話すので打ち切ろうと「もういいよ、いいよ」と。
どこがしあわせ話か?って言われそうですが続きがあって・・・
二人で遠出した帰りのことです。
主人「いつもありがとな。」
私「なんで急にそんなこというの?」
主人「なんとなく。いつもいわないけどとても感謝しているよ。お前を嫁にしてよかった。」
今までのことが走馬灯のように頭を巡り思い出されて、ポロポロ涙が溢れて落ちてきました。
最近 おいしかったよ ご馳走さんと言ってくれるようになってきました。
そういう部分があるから、人としてこれから成長していってくれるかもしれないと別れずに傍にいれるのかもしれません。